任期満了に伴う長野県北佐久郡軽井沢町長選挙(2023年1月17日告示、1月22日投開票)に新人の下田修平氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので下田氏に関する情報をまとめています。
下田修平氏の
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・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他
などについて記事をまとめていこうと思います。
下田修平/軽井沢町長選挙の経歴や家族は?
名前 | 下田修平(しもだしゅうへい) |
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生年月日 | 1977年 |
出身地 | 東京都 |
最終学歴 | 東京大学大学院(修士)修了 |
職業(前職) | 会社員(株式会社小松製作所勤務) |
趣味 | (不詳) |
下田修平氏は東京都出身で軽井沢町とは別荘民としての関りをされていました。(別荘の資産価値は1千万円に満たないとのことです。)
立候補時点で住民票は東京都大田区でしたが、「近日中に住民票を軽井沢町に移す」と表明されたとおり、現在は同町のニュータウン地区の町民になられている模様です。
また、軽井沢町との関りの長さは幼少時からの40年に及び、特に中学時代にはテニス部でよく軽井沢町に来られていました。結婚式も軽井沢で挙げられていて、娘さんが生まれてからは更に軽井沢町との関りを深められています。
日本屈指の男子進学校である東京の麻布高等学校卒業後、東京大学文学部(西洋史専攻)から同大学院の修士まで修了されています。
麻布高等学校は完全中高一貫校なので少なくとも小学校から秀才だったことが窺えます。
世界的な建設機械・鉱山機械メーカーである株式会社小松製作所に営業マンとして勤務されていました。
約10年間の中国での滞在歴があります。
今回は無所属で初めて立候補される模様です。
下田修平/軽井沢町長選挙の学歴は?
下田修平氏の学歴は、麻布高等学校卒業、東京大学文学部卒業(西洋史専攻)、東京大学大学院修了(修士)です。
出身高校は?
麻布高等学校は、東京都港区に所在する私立の男子校で、完全中高一貫校です。
卒業生の多くが東京大学や京都大学等の超難関大学に進学する、日本屈指の進学校です。
完全中高一貫校なので、高校進学時の偏差値情報はありませんが、中学入学時の偏差値から全国でも屈指の難関校であることが窺えます。
元々はカナダ・メソジスト教会設立の東洋英和学校(1884年創立。1901年閉校。)でしたが、政府の宗教弾圧により学校存続のためにはミッション校の返上を迫られることとなりました。
自身もキリスト者であった3代目校長の江原素六氏(1842年~1922年)は経営難の中、1895年に無宗教の麻布尋常中学校として再出発する苦渋の選択をされた次第で、これが現在の麻布中学校・高等学校の前身です。
麻布尋常中学校は1899年に麻布中学校と改称され、1948年に新制高等学校に改組、中高6年一貫教育が始まりました。
同校の校風の特徴は「自由闊達・自主自立」で自他共に知られている模様で、校則は殆どなく、学園生活の大部分で生徒が「自分で考えさせる」ことが重視されているとのことです。そもそも生徒会というものすらなく、代わりに、予算委員会、サークル連合、選挙管理委員会という自治組織があるという分権ぶりです。
この理念には初代校長の江原素六氏による所が大きいと筆者には思われます。
江原氏は貧しい御家人の家の生まれで、幕府に抜擢され、幕府軍の指揮官として戊辰戦争では激しい戦いを経験します。
1868(明治元)年、徳川氏の駿河移封にともない沼津の地に移住し、同年、当時近代教育機関として最高の水準にあった沼津兵学校の設立に加わり、その経営・管理にあたられていました。
1870年、欧米視察団の一員となり、海外事情について見聞を広め、その頃にキリスト者となりました。
帰国後は帰国後殖産興業と教育事業に尽力されることとなります。また、板垣退助氏らの自由民権運動への参加、県会議員・郡長として活躍するなどし、第1回衆議院議員に選出(1890年)後は永らく政界に身を置くこととなりました。
しかし、後半生に最も心血を注がれたのは、麻布中学校における教育だった模様です。寮内に生徒と寝食を共にするなどして、麻布中学校における青少年教育に全力を傾注されていました。
出身大学は?
東京大学は欧米諸国の諸制度に倣った、日本国内で初の近代的な大学として1877年に設立された国立大学です。
日本の大学の頂点に立つといえるでしょう。
元々、官僚養成を目的とした教育機関でしたが、現在は以下のとおりの学部と数多くの大学院研究科を擁していて、ノーベル賞受賞者も日本一多く輩出しています。
・学部 …法学部、医学部、工学部、文学部、理学部、農学部、経済学部、教養学部、教育学部、薬学部
下田修平/軽井沢町長選挙の家族は?
下田修平氏は既婚で娘さんが1人おられる旨、自身のブログに記されています。
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-私にとっての軽井沢40年
下田修平/軽井沢町長選挙の年収は?
下田修平氏が勤務されていた株式会社コマツの40~44歳の平均年収は704万円とのデータがありました。
下田氏の年収は500~1,000万円と考えてよいかと思われます。
下田修平/軽井沢町長選挙の実績や評判は?
下田修平氏は政治家としての実績はありませんが、その高学歴に加え、世界的な建設機械・鉱山機械メーカーである株式会社小松製作所の営業マンとして中国駐在員を10年間務められて来たキャリアは貴重と思われます。
つまり大学で西洋史を専攻し、長期の中国の駐在員をされていたことで東洋・西洋の双方に深い知見を有されていることが窺え、また、建設機械・鉱山機械メーカーの営業をされていたことで工事現場の様な行動力も身につけられていることが期待されます。
下田修平/軽井沢町長選挙の公約は?
下田修平氏は、自身のブログで以下7項目の政策を掲げられています。
立候補の直接の動機となった政策は「1)新庁舎建設の設計をキャンセル」ですが、他の政策でも明確な目的が謳われ、斬新で具体的な解決方法が示されています。
…現行の新庁舎案は建設費が不自然なまでに高額なので全面的に見直す。
現職町長以外は「新庁舎の建設計画見直し」を掲げているが、
その中でも自身は「設計から見直し」を提唱している。
2)行政手続きと役場内業務のデジタル化・簡便化 →庁舎規模の縮小
➀必要とされる窓口スペースや駐車場の縮小 →庁舎規模の縮小
➁手渡しの書類が減り、職員のリモートワーク可能に →職務スペース=庁舎の縮小
➂業務効率化により、オンライン手続きに慣れない高齢者や介護者への訪問工数確保
3)オーバーツーリズムへの対応
…元々、軽井沢はインバウンド隆盛以前からGW・夏季休暇の「町内パンク状態」が
常態化している。
住民及び観光客のストレスを緩和するために、下記を推進する。
➀軽井沢外への誘導
…御代田、佐久、東御等も同時に楽しんでもらうため、しなの鉄道との連携を強化する。
平日でも満車になる軽井沢駅及び中軽井沢駅前の駐車場を立体化して収容能力を
増強し、半日以上の長時間利用の駐車料金を下げる。
➁旅行シーズンの分散
…紅葉後からGWまでは町内は閑古鳥、故に飲食店などが数年で閉店する。
夏と冬の格差解消が課題で、カーリング等のウィンタースポーツは発展の余地あり。
中国南部(香港や台湾含む)や東南アジアからの観光客は自国で雪が降らないので雪を
喜ぶ傾向があり、雪の売り込みが効果的。北海道のやり方が参考になるはず。
医療ツーリズムも本来季節を問わないものであり、特に閑散期での外国人誘導と
関東圏のクリニックの誘致も一考の余地あり。
空気の良さもあって文豪や外国人の療養先に選ばれてきた歴史をアピールする。
➂回路や渋滞緩和システムの整備
…一部自治体で試行している、AIを活用した渋滞緩和システムを導入する。
或いは鳥井原橋の拡張等、今まで進められてきた迂回路整備を拡大する。
4)国際観光都市にふさわしい街づくり
➀市内循環バスの増加
…現在は終バスが19時台、夜に飲んだら代行かタクシーしか頼れない
(観光シーズンはこれも不足する)。
せめて、飲食店が概ね閉店する22時までの運行拡大を目指す。
現在運行している千曲、西武、草軽に要望してもダメなら、
この3社と競合しないように夜間に限って町営バスを運行する。
➁主要観光地での無料Wifiの拡充
…旧軽井沢銀座、プリンスショッピングプラザ 、駅構内を中心にWifi環境強化
➂マナーの注意喚起
…外国人が日本のマナーを知らないのは当然で、大半は言えば理解してもらえる。
5)国際文化保養都市を守るための、罰則規定を伴う環境・景観保護
…自然環境を保護するための軽井沢町独自の要綱には、いずれも罰則規定がない。
策定中の環境基本計画に罰則規定を盛り込むか、景観法を適用して軽井沢町を
景観行政団体に移行させ、罰則を制定する。
6)高齢者の健康増進
…病気やけがになってしまった後の医療費よりも、それを防ぐための予防対策に
注力した方が少ないトータルコストで済む。
2万人という人口規模の軽井沢町政においては、医療体制がより充実している
近隣自治体との連携に注力しつつ、主に高齢者の健康増進に注力すべき。
➀タクシー券補助
…年間3万円(2500円×12か月のイメージ)を全75歳以上に支給する。
*軽井沢と同じく財政力の高い飛島村では、要介護高齢者に年間最大約6万円の
タクシー利用を補助している。
*以前の町長選でも、ある立候補者が上記に近い内容を提案していたが、
それを模倣したわけではない。
逆に言うと、他の方も思うような課題が、そのまま4年間見過ごされてきたということ。
➁毎日の歩数インセンティブ
…iPhoneなどの標準搭載されている健康アプリに表示される歩数に応じクーポン券を
配布する。
➂カーリングは「冬のゲートボール」
…気軽に利用できるカーリング場を更に整備する。
7)職員活性化
フレックスタイムやリモートワーク等を促進し、昇給も躊躇なく検討する。
リモートワークの前提は「手渡し書類の削減・ハンコ文化の根絶」であり、
そのシステム構築に努める。
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-➀ここが変だよ軽井沢町政
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-➁なぜ町長選へ立候補?
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-➂軽井沢町の課題と対策
下田修平/軽井沢町長選挙の立候補した理由は?
下田修平氏は自身のブログで次の問題点を指摘されています。
つまり、税収全体の約半分が、別荘族からのもの。
・町の規模と比較して不必要に高額な費用をかける庁舎改築提案。職員と建設業者ばかりが喜ぶ。
過去にも2016年に竣工した軽井沢中学校は54億円で改築していて、公立中学校としては破格。真に必要なものは教育プログラムだがハコモノばかりを重視。
続いて、次のとおりの思いや行動に繋がったことが記されていました。
・同じような怒りを持つ人は他にもたくさんいるのでは?
選挙権を持っていないゆえに現在の町政にNoと直接言えないことに、もどかしさを感じている人も多いのでは?
という思いを強くし、ならば町長選に立候補することでその人たちの思いを集めたい、町の外にいるからこそ分かる視点を町民の皆様に広く訴えたい、と考えるようになった。
・供託金も軽井沢町長選挙の場合は金額が50万円なので何とか支払える。(衆議院議員選挙だと300万円)
得票数が足りずに最悪没収されることになっても、町の歳入となりそれが町民の皆様のお役に立てられるので良しとする。
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-➀ここが変だよ軽井沢町政
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-➁なぜ町長選へ立候補?
また、将来についての娘さんが軽井沢町との関りを持ち続ける100年間に思いを馳せて、発展に尽くしたいとの思いもブログに記されています。
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-私にとっての軽井沢40年
下田修平/軽井沢町長選挙の選挙結果は?
下田修平氏の国・地方公共団体への立候補は今回が初めての模様です。
下田修平/軽井沢町長選挙の引退の可能性は?
下田修平氏は、「政治家になる意志はなく、あくまで軽井沢町を良くするための手段として町長選挙に立候補する。」旨、自身のブログに記されています。今回の選挙で落選した場合に別の選挙に立候補することは現時点では考えていないとのことです。
下田修平氏ブログ…軽井沢町長選挙立候補の経緯等について-別に政治家になりたいわけではない
まとめ
下田修平氏について「東京都出身。別荘民。麻布高等学校卒業、東京大学卒業、東京大学大学院修了。」の簡単な一文を見たとき、「庶民とは乖離した感性の持ち主か?こういう候補者が現れるのが軽井沢町の特徴なのか?」との感想を抱きました。
今にして思えば誠に恥ずかしいことで、東京都知事を筆頭に、外の人が国づくりや町づくりをすることは、日本においてさえ既に珍しいことではなくなってきています。
別荘民とはいっても下田氏は幼時から軽井沢町とは縁があり、娘さんの代まで繋いでいく思いがあり、「町の税収の約半分は別荘民が負担している。にも拘わらず、選挙権の無い別荘民自身の意思に無関係に一般の町民にも無益な税金の使われ方をしている。」現状認識に一つの解を出そうとした下田氏の立候補には十分に納得・共感できるものがありました。
また、麻布高等学校の自由極まる校風からは型破りな一面を、文学部で大学院修士課程まで進まれたことから学究肌の一面が窺えました。更には営業マンとして10年間中国に駐在されていたことも興味深いところです。
ブログはユーモアに満ちていて、自身の経歴、立候補の動機、政策がわかり易く語られていて、楽しく拝読させていただきました。
今回の選挙の他の候補者は現職の町長、町議会議員、社長と錚々たる経歴の持ち主で、下田氏は厳しい戦いを強いられるかも知れません。しかし、候補者中最も若く、斬新なアイデアをお持ちの模様で、政治家としての筋は相当に良いのではないかと思われます。
政治家になる考えはないとのことですが、その道を検討されると、今後の軽井沢町、更には日本に有益な新たな世界を切り開かれるのではないかと思われました。
今、コンパクトシティ構想が検討されていますが、これは少子化に適応する発想でもあるようです。
下田氏の行動には、ある意味その流れに対抗して垣根を崩し、新たな世界を拓く期待を感じられました。
実は筆者の父も信州に別荘を建てることを検討したことがありますが、筆者は「父はともかく自分達には分不相応。どうせ別荘を建てたって滅多に行かない。」との考えで、他の家族・親族も積極的に後押ししなかったので実現しませんでした。
筆者には下田氏の様な行動力はとてもありませんが、ひょっとしたら自分達も別荘民になっていたかも知れないと思うと、その意味でも下田氏には興味が湧いてくるところもあります。