今回の記事では2025年1月19日告示、1月26日投開票予定の沖縄市長選挙に立候補されたなかむらみお氏について記事をまとめていきます。
なかむらみお氏の
- 経歴
- 家族
- 年収
- 選挙結果
などについて記事を書いていきます。
なかむらみお/沖縄市長選挙の経歴は?
\出発式🌼なかむらみお/
🕣1月19日(日)08:30
📍コザ十字路スタートはコザ十字路から。お近くのみなさんお誘い合わせのうえ、ぜひ一緒に盛り上げていきましょう!#やさしさつながる沖縄市 pic.twitter.com/6fKeHt2LLr
— 市長候補なかむらみお応援アカウント (@mio_okinawashi) January 18, 2025
名前 | 仲村未央(なかむらみお) |
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生年月日 | 1972年5月24日 |
出身地 | 沖縄市 |
最終学歴 | 琉球大学法文学部社会学科マスコミ学専攻卒業 |
職業(前職) | 沖縄県議会議員 |
趣味 | うたと筋トレとコーヒー |
なかむらみお氏は極東最大級の米軍嘉手納基地がある沖縄市で生まれ育ち、中学・高校は、勉学のため沖縄を離れ鹿児島で過ごされましたが、大学は沖縄へ戻り琉球大学へ進学されました。
そして、就職活動の際は、キー局への入社を希望しておられたようですが、当時、少女暴行事件が起こり、沖縄の問題を全国に発信する沖縄県内マスコミへの就職活動に切り替え、大学卒業と同時の1996年沖縄新報社に入社し、政治部県政担当記者になりました。
約5年間の記者時代になかむらみお氏は、嘉手納基地爆音被害や返還跡地のまちづくりなども追っていたそうです。
また、なかむらみお氏は、戦後沖縄で福祉活動に貢献し「福祉の母」と呼ばれる”島マス氏”の福祉哲学を受け継ぐために沖縄市社会福祉協議会が1993年から始めた「島マス記念塾」の第6期に入塾されています。
「島マス記念塾」は、島マス氏の福祉哲学を受け継ぐだけではなく、次代を担う若い世代を対象にした「地域を知り、地域を愛し、地域を誇れる人材」を創出する場となっており、子どもの貧困や地域福祉といった沖縄の社会的課題や、観光による街づくりなどをテーマとした学びがあったようです。
そして、なかむらみお氏は、沖縄本土復帰をした1972年に生まれた「復帰っ子」の一人として沖縄の役に立ちたいという思いから、政界への転身を決意されたそうです。
なかむらみお氏は、2002年沖縄市議会議員に初出馬し2期連続当選、2008年に県議会議員選挙に初当選後、5期連続で当選されました。
なかむらみお氏は、「支え合い共に生きる社会」を政治理念とされ、22年に及ぶ議員時代、基地と自治、環境、日米地位協定、沖縄戦、子どもの貧困問題等に取り組み、県民所得の経済政策や多様性を尊重する社会づくりなどにご尽力されてきました。
2023年には立憲民主党沖縄県連代表に就任し、全国的な課題にも取り組んでおられました。
今回の沖縄市長選挙においては、立憲・共産・社民・社大各党の推薦を受け、自民・公明からの市政奪還を目指しています。
なかむらみお/沖縄市長選挙の学歴は?
なかむらみお氏の学歴は、大口明光学園中学校・高等学校卒業、琉球大学法文学部社会学科マスコミ学専攻卒業です。
出身高校は?
大口明光学園中学校・高等学校は、鹿児島県伊佐市にある、中高一貫教育の私立のミッション校で、2022年4月から男女共学化しました。
県内各地から受験し、県外からの入学生徒も多く、元が女子校のため、女子のみ寮があります。
寮では食事は提供されますが、他の一切は自分でやらなければならないようです。
カトリック精神に基づく人格形成が教育の基本ですが、進路希望に応じて入学時に「進学クラス」「難関大クラス」の2クラスを編成、2年進級時に各クラスをさらに文系と理系の2プログラムに編成されます。
国公立大学を含めた4年制大学、短大、専門学校など幅広い進学先を選択できる多様な入試に対応できる「進学クラス」は応用的な知識・技能を、「難関大クラス」は、応用力からさらに踏み込んだ発展的な知識・技能をそれぞれ身につけ、医学部・歯学部・薬学部を含めた国公立大学、難関私立大学などへの進学を目指します。
一人ひとりの進路に合わせた徹底指導で確かな学力をつけているので、卒業後の進路は、熊本大学、鹿児島大学などの国公立大学や駒澤大学、上智大学、東海大学などの私立大学合格者が多数出ています。
出身大学は?
琉球大学は、沖縄県中頭郡西原町に本部をおく国立大学で、日本最南端かつ最西端の総合大学です。
琉球大学は、沖縄県が沖縄戦を経てアメリカ合衆国の施政権下にあった1950年に那覇市首里の首里城跡に創設され、翌1951年、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの誕生日にあたる2月12日に開学記念式典を挙行しました。
琉球大学は、第二次世界大戦後の平和な社会建設の礎として「自由と平等・寛容と平和」の理想を掲げて、建学の理念としました。
本土の新制国立大学の多くが旧制高等教育機関を前身とするのと異なり、琉球大学は沖縄を占領統治したアメリカ合衆国の意向と沖縄側から設置運動により設立された、特殊な経緯を有する大学です。
1972年5月15日、沖縄の本土復帰により日本の文部省に移管され国立大学となり、1977年から現キャンパスへの移転事業が開始されました。
なかむらまお氏が当時在籍していた法文学部は、琉球大学開学時の英語学部、社会科学部、応用学芸学部を母体としていたようですが、改組等で現在は、人文社会学部、国際地域創造学部、教育学部、理学部、医学部、工学部、農学部の7つの学部とと9つの研究科が設置されています。
なかむらみお/沖縄市長選挙の家族は?
なかむらみお氏は、ご本人のリーフレットで紹介されている通り、夫の大湾充さんと一緒に暮らしておられます。
なかむらみお氏のお父様はすでに亡くなられいますが、ご両親ともに沖縄の方で、教員をされていらしたそうです。
なかむらみお/沖縄市長選挙の年収は?
なかむらみお氏の沖縄県議会議員時代の年収についてまとめていきます。
沖縄県のホームページによると議員報酬は月額750,000円、期末手当は3.15月分です(通勤手当等を除く)。
期末手当:750,000円×3.15月分=2,362,500円
年収:9,000,000万円+2,362,500円=11,362,500円
なかむらみお氏が沖縄県議会議を務められていた際の年収は約11,362,500円と予想されます。
なかむらみお氏のその他の収入については確認できませんでした。
なかむらみお/沖縄市長選挙の実績や評判は?
なかむらみお氏の議員活動は、ご自身のSNSやホームページ等で県民、市民にも伝えておられます。
県議会議員時代には玉城デニー県知事から、「辺野古新基地建設反対」の民意を実現させるためには県議会に欠かせない存在と言われ、「行動する政治家」と評されています。
実際に、有機フッ素化合物(PFAS)への県民の不安の声をなかむらみお氏が県議会で繰り返し取り上げることで県政の方針が変わったり、子どもや教員の声を直接聞いて、不登校問題や教員の働き方改革への取り組みをされたりして、議会や県民からの信頼はとても大きくなっている様子が伝わります。
また、記者時代の経験が生かされていると推察しますが、なかむらみお氏はご自身から市民や県民の声をきちんと聞いておられ、そこにある問題を拾い上げ課題解決につなげるその行動がとても自然になされている印象があります。
このような「小さな声をきかせて」「誰も取り残さない」というなかむらみお氏の姿勢は、特に女性からの支持を得ており、「女性市長」としてなかむらみお市長誕生を期待する声になっている様子がみうけられます。
また、自民公明が指示する現市政に対して変革を期待する人たちからも、与党からの市政奪還の期待を寄せられているようです。
なかむらみお/沖縄市長選挙の公約は?
なかむらみお氏は、今回の沖縄市長選にあたってご本人のSNSや配布しているリーフレットで以下の政策を載せています。
1こどもまち基金
どの子の育ちも応援する沖縄市
2 人づくり地域づくり
高齢者を孤立させない沖縄市
3 海・食・スポーツ・観光
沖縄市ブランドの強化で、すべての産業に恩恵を
4 交通・防災
快適で安心の沖縄市
5 文化・芸能
伝統工芸、芸能、エンターテイメントを支える
人材とその活動を支援
6 市民会議の設置
地域の課題を市民参画型で解決
7 平和行政
この島を二度と戦場にさせない
8 循環型社会
持続可能な社会づくり
たとえば、地域の様々な課題を市民参加型で解決する「みんなの声市民会議(仮称)」の設置や、子育て支援に関する安定的な財源確保を目的にした「こどものまち推進基金」の創設など、なかむらみお氏は「人を育てるまちづくり」を重視する考えを示しています。
また、市民所得の向上のため、泡瀬漁港を拠点とし水産業の振興につなげる「海の駅(仮称)」を整備することや、県の東海岸サンライズベルト構想に関連して、観光拠点を整備することも公約に掲げています。
さらに、沖縄戦を学ぶ平和学習などの平和行政の推進や高齢化社会に対応する医療と介護、福祉の連携に注力することなども掲げておられ、急な出馬とはいえ、なかむらみお氏の長い議員経験の集大成であり目指す市政であるという印象があります。
なかむらみお/沖縄市長選挙の立候補した理由は?
今回の沖縄市長選挙は、現職市長の病死に伴うものですが、市政野党の選考委員会は、早々になかむらみお氏の擁立を決めていたようです。
なかむらみお氏が市長選に出馬した理由は確認できませんでしたが、なかむらみお氏は出馬する前まで立憲民主党沖縄県連代表をされておられ、現市政に対しては野党の立場のため擁立されたと推察します。
また、YouTubeチャンネルReHacQ−リハック−【公式】による、【ReHacQ沖縄市長選討論会】において、なかむらみお氏は「合併して市政50年を迎える沖縄市を、国際文化観光都市としてさらなる発展、前進をさせたいという思いで立候補を決意した。」と述べておられ、故郷沖縄市への思いが出馬の後押しになっていることを明かしています。
とくに、なかむらみお氏は新聞記者時代に経験した、95年少女暴行事件の取材や嘉手納基地爆音被害、基地周辺の事件事故等の取材を通じて気づいた、矛盾や違和感を政治家としての原点とされておられます。
だからこそ、沖縄市という街を改めてみた時に、なかむらみお氏自身の故郷でもあり、記者時代に抱えた矛盾や違和感を忘れることなく、主体的に沖縄の様々な課題の解決に向かっていきたいと考えられたのでしょう。
なかむらみお/沖縄市長選挙の選挙結果は?
なかむらみお氏はこれまで、沖縄市議会議員選挙に2回、沖縄県議会議員に5回立候補され当選されています。
唯一、2019年の第25回参議院議員選挙 比例区全国比例区(社会民主党)は当選できませんでした。
2002年09月08日投票日、沖縄市議会議員選挙。投票率64.28%、得票数2,184票で当選。
2006年09月10日投票日、沖縄市議会議員選挙。投票率60.35%、得票数2,786票で当選。
2008年06月08日投票日、沖縄県議会議員選挙(沖縄市選挙区)。投票率56.79%、得票数11,987票で当選。
2012年06月10日投票日、沖縄県議会議員選挙(沖縄市選挙区)。投票率51.72%、得票数10,286票で当選。
2016年06月05日投票日、沖縄県議会議員選挙(沖縄市選挙区)。投票率51.59%、得票数11,385票で当選。
2019年07月21日投票日、第25回参議院議員選挙 比例区全国比例区 社会民主党。投票率2.09%、得票数98,681.52票で落選。
2020年06月07日投票日、沖縄県議会議員選挙(沖縄市選挙区)。投票率44.42%、得票数10,219票で当選。
2024年06月16日投票日、沖縄県議会議員選挙(沖縄市選挙区)。投票率42.95%、得票数10,078票で当選。
なかむらみお氏は市議会議員選挙に2期連続の当選、その後は県議会議員も5期務め、通算22年に及ぶ間、議員を務められました。
今回は、現職市長が病死されたため市民にとって急な選挙となりましたが、なかむらみお氏にとっても、県議5期目任期途中での急遽の出馬となっています。
なかむらみお/沖縄市長選挙の引退の可能性は?
なかむらみお氏引退についての情報は確認できませんでした。
なかむらみお氏は今回が市長選挙初挑戦ですが、市議2期、県議5期、通算22年以上の議員経験があるため後援支持者は玉城デニー県知事や県議や市議をはじめ、女性を中心とした多くの賛同者が集まっています。
「支え合い共に生きる」を政治理念として、みんなの声を大切にする市民との協働のまちづくりを掲げ、同時に「市民の命が国策の下で脅かされてはならない!」と力強く訴えるなかむらみ氏に大きな期待が寄せられている印象があります。
なかむらみお氏自身も、ご自分の経験を沖縄市のために活かしたいと強い意志が感じられます。
今回落選となっても、再び市政への挑戦はされるのではないかと思われます。
まとめ
現職市長の死去に伴う今回の沖縄市長選挙には、立憲民主党等の推薦を受けているなかむらみお氏の他に、前市長の後継者とされる県議の花城大輔氏が自民・公明両党の推薦を受けて立候補しています。
形としては新人同士の一騎打ちですが、花城氏は現職後継者といわれ、それに対立するなかむらみお氏という現市政の是非を問う選挙であり、同時に、自民・公明の与党対、立憲をはじめとする野党の与野党対決の構図となっています。
最後までお読みいただきありがとうございました。