任期満了に伴う金武町長選挙(2022年3月29日告示、4月3日投開票)に新人の山川宗仁氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので山川氏に関する情報をまとめています。
山川宗仁氏の
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・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他
などについて記事をまとめていこうと思います。
山川宗仁/金武町長選挙の経歴や家族は?
名前 | 山川宗仁(やまかわむねひと) |
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生年月日 | 1977年4月1日 |
出身地 | 沖縄県国頭郡金武町 |
最終学歴 | 沖縄国際大学商経学部商学科卒業、琉球リハビリテーション学院社会福祉学科卒業 |
職業(前職) | 金武こどもみらい園(保育園)園長等 |
趣味 | 読書、ゲーム、保育園の愛犬トトと遊ぶこと、YOUTUBEで勉強すること |
山川宗仁氏は、お父様の留学で夫婦がドイツのミュンヘンに滞在中に生まれました。
宗仁氏が生まれたことにより、日本の沖縄県に帰国しました。帰国した時、宗仁氏は1歳にもなっていなかったので、ドイツの記憶は無いとのことです。
お母様は台湾出身で元小学校教師。お父様と結婚して来日した時、日本語が話せなかったので小学校に通われたとのことです。
以後、宗仁氏は幼稚園から中学校まで地元金武町(沖縄本島)内、高等学校や大学も沖縄本島内で終えました。
沖縄県立宜野座高等学校を卒業後、沖縄国際大学商経学部商学科に進みます。
大学時代に奥様に出会い、卒業とほぼ同時に結婚し、家業のアメリカンBAR「BARイーストコースト」を引き継いで経営者になりました。
実はお母様は宗仁氏の大学進学時と同期で名桜大学に進学されました。
大学卒業後、宗仁氏に家業を託して琉球大学大学院、アモイ大学大学院で博士号を取得。
沖縄高専の講師就任も決定していましたが、55歳の若さで他界されています。
宗仁氏は家業を継いだ後、キャバクラから保育園等、今までにキャバクラやドローン、保育園など15もの事業を開業・経営しました。
全て金武町のみで行ったとのことです。4回の事業廃止など失敗も経験しています。
主な事業は下表にある五つの模様です。全て氏の住所から1kmの所で営まれていて、現在も存続している模様です。
2008年 31歳 リカモカカフェ 共同経営
2009年 32歳 きんメインテナンス株式会社 取締役 (総合ビルメンテナンス会社)
2014年 37歳 金武こどもみらい園(保育園 園長) … 自宅を保育園にする
2016年 39歳 琉球リハビリテーション学院 社会福祉学科 卒業
2016年 39歳 スカイキン株式会社 取締役 (ドローン空撮、ドローンスクール等)
中でも、金武こどもみらい園は、最も思い入れのある事業のようです。
自宅を保育園にしたものであり、そのために家族と話し合いを重ねました。
「自分が本当にやりたいことは教育」と一念発起したもので、学校に再度通って社会福祉士の資格を取得しました。
地域での活動も活発にしています。今まで、以下の役職を歴任しています。
2009年 32歳 沖縄県商工会青年部 会長
2010年 33歳 金武町社交飲食業組合 組合長
2015年 38歳 金武中学校PTA 総務部長
2016年 39歳 金武中学校男子バレーボール部 外部コーチ
2020年 43歳 第5次金武町総合計画後期基本計画審議会 会長
2020年 43歳 金武町観光協会 会長
金武町公式観光情報visitkintown BARイーストコーストについて
山川宗仁/金武町長選挙の学歴は?
山川宗仁氏の学歴は、沖縄県立宜野座高等学校卒業、沖縄国際大学商経学部商学科卒業、琉球リハビリテーション学院社会福祉学科卒業です。
出身高校は?
沖縄県立宜野座高等学校の所在地は、沖縄県国頭郡宜野座村です。
1946年に設立されました。
現町長の仲間一氏は同校の先輩に当たります。
部活動が盛んなことで有名です。
出身大学は?
【沖縄国際大学】
1972年、沖縄の本土返還の年に開学しました。
アメリカ合衆国統治下時代から存在していた沖縄大学と国際大学とを統合して開学した次第です。
現在、以下の学部と大学院を擁しています。
・法学部(法律学科・地域行政学科)
・経済学部(経済学科・地域環境政策学科)
・産業情報学部(企業システム学科・産業情報学科)
・総合文化学科(日本文化学科・英米言語文化学科・社会文化学科・
人間福祉学科(社会福祉専攻・心理カウンセリング専攻))
現町長の仲間一氏は同学を中退しています。
【琉球リハビリテーション学院】
セラピストが2002年4月に作った学校で、現在は以下の学科を擁しています。
・作業療法学科
・理学療法学科
・メディカルスポーツ柔道整復学科
・こどもリハビリテーション学科(こどもリハビリテーションコース、海洋リハビリテーションコース)
・社会福祉学科
山川宗仁氏が学んだ社会福祉学科は、夜間の1年課程です。
他の学科は全て昼間の2年または3年課程の模様です。
山川宗仁/金武町長選挙の家族は?
山川宗仁氏には奥様とお子様がおられます。
山川宗仁/金武町長選挙の年収は?
山川宗仁氏は過去15の事業に関わりました。
自身の公式サイトに明記されているものは5事業であり、カフェ、保育園、その他地元の中小企業経営に分類できます。
過去に関わった主な5事業について、調査した結果は以下のとおりでした。
保育園経営は現在継続されている模様であり、年収の相場は約700万円~1200万円の模様です。
カフェ経営も継続されているかも知れません。その分を合わせると、年収は約1300万円~1800万円と推測することもできます。
【カフェ経営】
両店は互いに近接し、現在も存続しています。ただ、現在でも山川氏の経営か否かは不明です。
カフェ店長の年収は、全国展開をしているチェーン店と個人経営店とかなりの差が出るそうですが、平均年収は270万円~330万円の模様です。
【保育園経営】
保育園経営によってだけで7000万円以上の年収を得ている人もいるそうですが、平均的には約700万円~1200万円の模様です。
【中手企業経営】
・きんメインテナンス株式会社(資本金500万円)
・スカイキン株式会社:(資本金不明)
中小企業の役員の給与の相場は、国税庁の「平成29年度分 民間給与の実態調査結果」によると、次のとおりの模様です。
資本金2,000万円未満:平均553万円
資本金2,000万円以上5,000万円未満:842万円
資本金5,000万円以上1億円未満:976万円
資本金1億円以上:1,258万円
山川宗仁/金武町長選挙の実績や評判は?
山川宗仁氏は、「かつて私は、自分のやりたいというわがままだけで新しい仕事にチャレンジし、失敗して家族と支えてくれる人に迷惑をかける経営者でした。」と公式サイトで振り返られています。
15年ほど前の30歳までの頃のことのようです。
それにしても、今まで15もの事業を手掛けたエネルギーは大変なものです。
自宅を改装して設置した保育園経営を筆頭に、起業や地域活動を通して地域に貢献してきました。
地域活動で歴任された役職からも、その人望と地域への貢献度の高さが窺えます。
山川宗仁/金武町長選挙の公約は?
山川宗仁氏は、「7つの挑戦(政策)」を掲げています。
「地域力で世界一 新しい金武町へ」と銘打っています。
自身の公式サイトに詳細が掲載されています。
2:世界で一番住みたい「安全・安心・快適な環境づくり」
3:地域力で「100年時代を活きる福祉」
4:やっぱり金武で育てたい「子育て・教育の充実」
5:新しい金武町へ「世界が注目する活力あるまちづくり」
6:沖縄で一番前向きな役場へ
7:世界で一番話しやすいリーダーへ
山川宗仁/金武町長選挙の立候補した理由は?
山川宗仁氏の公式サイトによると、お母様の思い出が政治を目指す理由だそうです。
お母様は台湾人として金武町に迎えられた経験と文化人類学の研究成果とを役立てて、沖縄・日本とアジアの次世代の橋渡しをしたいと願われていました。
55歳でお亡くなりになられたお母様の遺志を継いで政治家を志したことが語られています。
保育園経営をはじめとする数多くの起業経験や地域活動も背景としてあると思われます。
山川宗仁/金武町長選挙の選挙結果は?
山川宗仁氏の国・地方公共団体への立候補は今回が初めての模様です。
山川宗仁/金武町長選挙の引退の可能性は?
山川宗仁氏の今回の町長選挙への立候補は、今後、政治家となれるかを占うものと思われます。
ただ、まだ44歳であり、当落に関わらず今回の一度で諦めることはないと思われます。
まとめ
山川宗仁氏は、「子どものころは、やんちゃで、勉強をほとんどしなかった。」と自身の公式サイトで振り返っています。
社会人になってからの回想が続きます。概略は以下のとおりでした。
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私は23歳で経営者になって商工会青年部に所属しました。
単純に儲けることと事業拡張とを考えていましたが、先輩に「金武町のみんなのお陰で生活できている。」と諭されます。
「金武町のみんなに活かしてもらっている。何を金武町に返せる?」とも。
「もっと周りのことを考えられる自分に成長しなければいけない」と考えるようになりました。
その後、役職を経験する年齢になり、青年部の部長にも就任しました。
しかし、周りがついてこないことに悩み、事業が上手くいかない時期も重なります。
妻から「あなたは一人で走っている。周りはチャレンジする姿を尊敬して見ているだけ。ついてきているのは私だけ。」と指摘されました。
その時、独り善がりで周りの言うことを聞かないで失敗していた自分に気付いたのです。
一人では何もできない。支えてくれる人がいるからできる。
「ありがとうございます。お願いします。」この言葉が私の口癖になりました。
その後も事業全般が上手くいかず、本当のピンチを迎えるが、ある時「自分の本当にやりたいことは教育なのでは?」と気付きます。
家族としっかりと話をした上で自宅を保育園にしました。それが「金武こどもみらい園」です。
今では適材適所それぞれの役割を伸ばしつつ、みんなと共に進み、そして引っぱっていけるリーダーを目指しています。
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自宅から1km圏内中心の経営や地域活動の実践を通じて、あちこちに頭をぶつけながら突き進み、保育園経営に辿り着いた。そして、ついに政治家へと歩み出した…。
筆者が今まで調べさせていただいた政治家の方々の中では、民間・経営者として、最も剝き出しの実践を積み重ねてきた一人ではないかと感じました。
対立候補で現町長の仲間一氏と政策の方向性は同じように思われます。
現町長の仲間氏は同じ高等学校・大学の先輩でもあります。仲間氏は大学を中退されていますが。
これまでの生涯を地元金武町に捧げてきた点も2人は同じです。
ただ、仲間氏は大学卒業後、金武町役場に入職し、町長に就任するまで教育長を務めていました。
山川氏は全くの民間の経営者として金武町と関わってきた点が、仲間氏とは好対照といえます。
また、現在67歳の仲間氏と44歳の山川氏で、世代交代するか否かも有権者にとっての選択肢の一つでしょう。
仲間氏も、まだ70歳前で、やっと町長2期目を終えるところですが。
投票の際には、その辺りが焦点になるかも知れません。