今回の記事では2025年4月20日告示、4月27日投開票予定のうるま市長選挙に出馬した照屋モリユキ氏について記事をまとめていきます。
モリユキ氏の
- 経歴
- 家族
- 年収
- 選挙結果
などについて記事を書いていきます。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の経歴は?
照屋守之氏が第一声「公共事業検証し健全化」 沖縄・うるま市長選が告示https://t.co/gw2KWAS9Oz#うるま市長選
— 琉球新報 (@ryukyushimpo) April 21, 2025
名前 | 照屋守之(てるやもりゆき) |
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生年月日 | 1956年3月生まれ |
出身地 | うるま市具志川 |
最終学歴 | 電気通信大短大部中退 |
職業(前職) | 元沖縄県議会議員 |
趣味 | 不明 |
照屋モリユキ氏は現在のうるま市具志川に産まれ、1994年に当時の具志川市議会議員に初当選してから市議を3期10年、2004年からは沖縄県議会議員を5期20年務めてこられました。
自民党沖縄県連に所属し、県連幹事長や会長代行、そして会長といった要職も歴任され、国政、県政との連携やつながり、人脈が広くあります。
しかし、過去には県民投票への対応を巡って党内から批判を受け、会長職を辞任するなど、党内での対立が表面化していました。
また、2021年7月には県立中部病院での新型コロナウイルスクラスター対応を巡り、照屋氏が病院事業局の職員に対して電話で叱責したことがパワハラにあたるのではという疑惑がありました。
このようなパワハラ発言や、県議会での行動や発言が党内で問題視され、処分の可能性が取り沙汰される中で、「けじめをつけるため」と言い、2023年3月に自民党を離党しました。
そして照屋モリユキ氏は無所属として活動されるようになりましたが、2024年6月県議選に出馬せず、県議を引退したかたちとなりました。
実は、現職の中村正人市長が当選した前回2021年の市長選で、照屋モリユキ氏は選挙対策本部長を務めたほど強い信頼を抱いていらしたようです。
しかし、「中部病院の移転について市から相談はなかった。」と述べ、中村市長が地元出身県議である照屋モリユキ氏に一言も相談しなかったことから強い不信感を抱くに至ったようです。
照屋モリユキ氏は、自民党を離党し県議も引退したものの、長年の政治経験を活かし、地域密着型の市政を目指して、今回、無所属でうるま市長選に立候補しました。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の学歴は?
照屋モリユキ氏の学歴は、Facebookによると、宮崎第一高等学校に在学していたことがあり、電気通信大短大部を中退しています。
出身高校は?
宮崎第一高等学校は、宮崎県宮崎市に所在する私立高等学校で、学校法人旭進学園が運営しています。
1955年佐藤一一氏が全私財を投げうって開所した宮崎高等無線電信講習所が前身で、工業系でありながらも郷土の偉人や古典、神話、修身、教育勅語などを教育に多く取り入れ日本文化の固持に務める教育方針でした。
1965年宮崎電子工業高等学校を開校し同時期に学校法人旭進学園も成立されました。
1978年学校名を宮崎第一高等学校に変更し、普通科系と実業系を合わせた4学科を有する総合学園が完成し、1994年には中等部が開校し学校法人旭進学園宮崎第一中学高等学校として中高一貫校になりました。
中等部においては、中高一貫教育で、大学進学を目標としたカリキュラムが編成されており、文理科に内部進学します。
高校の設置課程は、普通科、国際マルチメディア科、電気科、文理科ですが、普通科は部活での活躍によって進学や就職を目指す学科で一般的な高校の普通科とは異なります。
代わりに文理科が一般普通科高校の普通科に当たり主に大学進学を目指しており、中等部から高等部へ内部進学するクラスと、高校から外部進学するクラスに分けられています。
学校案内によると普通科から推薦を利用して大学進学や就職をすることもあるなど、卒業後の進路は、進学と就職それぞれの志望に寄り添う親身なフォローがなされています。
出身大学は?
電気通信大短大部は、東京都調布市に本部を置く国立短期大学で1992年に廃止されました。
電気通信大学の併設校として1953年に設置、開学し、学科体制は当初は通信科の1学科、増設により3学科体制となったこともありましたが、改編により電子情報学科と電子工学科の2学科体制となり1987年度の入学生を最後に、短期大学としての使命を終えました。
開学当初から夜間部のみとなっており、とりわけ勤労学生に対する教育に力をいれていました。
在学生の大半は勤労学生でしたが、一般企業や官公庁に在職しながら学業に励む学生、日中はアルバイトをし18時からの学業を通して自分自身の未来をデザインする学生がほとんどのようです。
学生でありながら社会人としての学びを日中に求め、学問は18時からの講義で習得、電気通信大学への編入学制度もありました。
学業はもちろんのこと社会人としての身だしなみを学ぶことができた貴重な大学とされたようです。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の家族は?
照屋モリユキ氏のご家族に関する情報は確認できませんでした。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の年収は?
照屋モリユキ氏は、2024年まで連続5期沖縄県議会議員を務め、副議長もしておられましたので、沖縄県議会議員副議長当時の年収をまとめます。
沖縄県の資料によると、副議長の議員報酬は月額840,000円、期末手当は3.15月分です。
期末手当:840,000円×3.15月分=2,646,000円
年収:10,080,000万円+2,646,000円=12,726,000円
照屋モリユキ氏が沖縄県議会議で副議長を務められていた際の年収は約12,726,000円と予想されます。
照屋モリユキ氏のその他の収入については確認できませんでした。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の実績や評判は?
照屋モリユキ氏は具志川市議会議員を3期10年、沖縄県議会議員は5期20年務め、副議長としてもご尽力されました。
また、自民党沖縄県連においても幹事長や会長などの要職を歴任され、政治的手腕やリーダーシップが評価されていました。
2021年コロナ禍において、照屋氏が県立中部病院の職員に対して行った叱責がパワーハラスメントに該当するとの指摘があり、注目されたこともあります。
以降、照屋モリユキ氏は自民党会派を離脱したのですが、その際の説明不足や、県連大会の欠席などが問題視され、党内での対立が表面化してしまい、2023年に自民党も離党しました。
無所属で県議の活動は続けられましたが、任期満了に伴う2024年の県議選には出馬せず、引退したかたちとなりました。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の公約は?
照屋モリユキ氏の公約は以下の通りです。
・山芋スーブ:獅子舞フェスティバルの復活
・中心的イベントの地域持ち回り開催
人材育成
・給食費無償化
・教育無償化
・教職員の負担軽減
市民の命財産を守る
・中部病院の現地立替の実現
・公共事業発注方式の見直しと地元企業、産業の育成
市民のくらし
・減税を政府に要請(ガソリン暫定税)
・貧困対策の拡充
観光経済の推進
・アンパンマンミュージアムの誘致
行政サービス向上
・うるま市モラハラ条例の制定
今回のうるま市長選について照屋モリユキ氏は、県立中部病院の移転問題が大きな争点になると強調し、現地での建て替えを推進すると訴えておられます。
また、民間の資金などを活用した公共事業・PFI事業については、市の財政悪化や市民の負担に繋がるとして検証・見直しを行うとしています。
今回無所属で立候補している照屋モリユキ氏は、『保革を超えて市民目線で』をキャッチフレーズにしておられます。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の立候補した理由は?
一度、県議を引退した照屋モリユキ氏が今回の市長選に出馬した明確な理由は確認できませんでしたが、出馬会見や街頭で以下の2点を強調されています。
まず、老朽化が進む県立中部病院の建て替えについて、現市政が進める移転案に反対し、現地での建て替えを主張しています。
照屋モリユキ氏は、「現市政は中部病院の移転を主張しているが、周辺住民らは現地建て替えを要望している。市政刷新をして地域の声を尊重する市政をつくりたい」と述べています。
実は、現職の中村正人市長が当選した前回2021年の市長選では選対本部長を務めていたのですが、「残念ながら中部病院の移転について市から相談はなかった。これについてはどうしても譲れない」と照屋氏は述べ、中村氏への不信感をあらわにしています。
二点目は照屋氏は、現職の中村正人市長が進める市政運営に対し、「地域の声が十分に反映されていない」との懸念を示しています。
特に、公共事業の進め方や市民との対話の不足を問題視し、「市政刷新をして地域の声を尊重する市政をつくりたい」と強調しています。
これらの理由から、照屋氏は市議や県議会議員としての経験を活かし、うるま市の市政に直接関与することで、地域住民の声を反映した市政運営を目指す決意を固めたと推察します。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の選挙結果は?
照屋モリユキ氏は、1994年に具志川市議会議員選挙に初当選し、3期10年務めたようですが、具志川市が2005年に統廃合してうるま市になったため、具志川市議会議員選挙に関する詳しい情報は確認できませんでした。
その後、照屋モリユキ氏は2004年に沖縄県議会議員選挙に初当選し、連続5期務めました。
2004年6月6日投票日、沖縄県議会議員選挙(具志川市選挙区)。投票率62.18%、得票数9,885票で当選。
2008年6月8日投票日、沖縄県議会議員選挙(うるま市選挙区)。投票率60.21%、得票数9,648.890票で当選。
2012年6月10日投票日、沖縄県議会議員選挙(うるま市選挙区)。投票率56.75%、得票数13,375.218票で当選。
2016年6月5日投票日、沖縄県議会議員選挙(うるま市選挙区)。投票率47.71%、得票数11,294.882票で当選。
2020年06月07日投票日、沖縄県議会議員選挙(うるま市選挙区)。無投票で当選。
2024年6月の県議選には出馬せず、県議を引退しました。
照屋モリユキ/うるま市長選挙の引退の可能性は?
照屋モリユキ氏の引退に関する情報は確認できませんでした。
県議会議員は一度引退してはいますが、誰よりも早く昨年9月に今回の市長選への出馬表明をし、「市民、地域を尊重する市政を確立する」と述べておられます。
照屋モリユキ氏ご自身は市議、県議の長年の政治経験を活かし、地域密着型でうるま市民の声を尊重した市政を目指したいという強い意志が感じられます。
今回落選となっても、再び市政への挑戦はされるのではないかと思われます。
まとめ
2市2町が合併し2025年で誕生から20年を迎えたうるま市。
今回のうるま市長選挙には、照屋モリユキ氏の他に、自民党・公明党が推薦する現職の中村正人氏、立憲民主党・日本共産党・社会民主党・地域政党「沖縄社会大衆党」が推薦する新人の照屋大河氏が立候補しています。
市長選では、現中村市政の是非、所得の向上に向けた経済・雇用対策、学校給食費や医療費への支援等による子育て施策などが争点と考えられています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。