大川裕之/宝塚市長選挙の経歴や家族は?年収や選挙結果も!

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今回の記事では2025年4月6日告示、4月13日投開票予定の宝塚市長選挙に出馬した大川裕之氏について記事をまとめていきます。

大川裕之氏の

  • 経歴
  • 家族
  • 年収
  • 選挙結果

などについて記事を書いていきます。

目次

大川裕之/宝塚市長選挙の経歴は?

名前 大川裕之(おおかわひろゆき)
生年月日 1974年9月26日
出身地 東大阪市
最終学歴 大阪大学工学部卒業
関西学院大学大学院修了
職業(前職) 宝塚市議会議員
株式会社ネクストアクシス代表取締役社長
趣味 野球、ゴルフ

大川裕之氏は、大阪大学を卒業後、東京都に土木技師として入庁し、当時の都知事だった青島氏、そして石原慎太郎氏の下で多摩ニュータウンのまちづくりにかかわるお仕事をされました。

7年間務めた東京都職員を退職し、一から政策の勉強をするために関西学院大学大学院総合政策研究科に入学し、篠山市の中心市街地活性化や観光政策立案にかかわることをされたそうです。

修士論文は「宝塚市の高齢化率」について執筆し、修了されています。

地元大阪に戻った理由は、お父様が亡くなられたことで、その際、奥様の希望で宝塚市に住み始めたそうです。

2011年に宝塚市議会議員選挙に初当選し、その後連続当選し、4期14年間市議として務められました。

4期14年間の市議経験の中で大川裕之氏は、行財政経営に関する調査特別委員会、行財政改革調査特別委員会など多くの委員長を歴任され、商工議連、観光振興議連の会長も務めるなど宝塚市のためにご尽力されました。

またその間の2015年には、官民連携コンサルティング会社を起業し、代表取締役社長に就任されました。

今回の市長選出馬決意は、わずか1期で退陣を表明した前市長の後を任せられる人として、市議の経験が長い大川裕之氏に周囲が出馬要請したことが大きな後押しになったようです。

大川裕之氏は、2011年の宝塚市議選にはみんなの党から立候補して当選、2023年には自民党の公認を受けて当選し、4期目も自民系の会派「たからづか真政会」に所属していましたが、今回は無所属で出馬しました。

無所属ですが、自民、維新から推薦を受けており、告示日第一声には、自民党、日本維新の会の国会議員が駆けつけておられました。

大川裕之氏公式サイト
大川裕之氏Facebook
大川裕之氏YouTubeチャンネル

大川裕之/宝塚市長選挙の学歴は?

大川裕之氏の学歴は、大阪府立高津高校卒業大阪大学工学部土木工学科卒業関西学院大学大学院総合政策研究科修了です。

出身高校は?

大阪府立高津高校は、1918年に旧制中学校として大阪市に創立、1948年の学制改革により、全日制普通科・定時制普通科が併設された公立高校です。

その後、2011年度に文理学科が併設され、2018年度入学生より文理学科に一本化され、また、大阪府の定時制高校再編方針により1999年に定時制は閉課程となっています。

制服はなく、生徒に対する規制を極力排し、生徒ができる限り自主性と自立性を発揮するよう期待する方針をとっている高校です。

進路に関してはほぼ100%が進学希望であり、難関4大学(東大・京大・阪大・神大)を含む国公立大学の合格率は概ね40%で、関西の主要私立大学、特に関関同立にも多数進学しています。

出身大学は?

大阪大学は、1931年に大阪帝国大学として設立された国立大学であり、文部科学省が実施しているスーパーグローバル大学事業のトップ型指定校ならびに指定国立大学法人に指定されています。

開学当初は医学部と理学部のみで創設されましたが、今は11学部・15研究科(うち1研究科は他大学との連合)を擁する国立文理総合大学です。

大阪大学工学部は、1933年に大阪帝国大学が旧三工大の一角であった大阪工業大学を吸収して設立された学部です。

第二次世界大戦後の1947年に大阪大学工学部と改称され、キャンパスは現在の大阪府立東高等学校の敷地である東野田学舎から1970年に吹田市山田丘の吹田キャンパスに移転されました。

地元産業界および行政の推進を受けて設立された経緯があり、伝統的に地方公共団体や地元商工会議所との連携などに力を入れて運営されています。

関西学院は、1889年に創立者で初代院長、宣教師でもあるW.R.ランバスが、神戸原田の森、今の王子公園につくった私塾学校から始まります。

この学院創立以来、関西学院は「キリスト教主義(Principles of Christianity)にもとづく全人教育」の実現を建学の精神としています。

関西学院大学には、研究者の養成をめざす大学院研究科と、高度専門職業人を養成する専門職大学院が設置されています。

総合政策研究科では、「自然と人間の共生、人間と人間の共生」を基本理念とし、“Think Globally, Act Locally”という発想のもと、高次元な教育・研究を実践しているそうです。

大川裕之/宝塚市長選挙の家族は?

大川裕之氏のプロフィールによると、ご家族はお子さん3人がいらっしゃいます。

奥さまは東京で結婚した方で一緒に宝塚に戻りすでに20年が過ぎ、その時3歳だった長男さんは大学卒業後就職し今は、名古屋で独り暮らし中。

宝塚で生まれた高校1年の長女と中学1年次男さんと今は4人で住んでいらっしゃるようです。

大川裕之/宝塚市長選挙の年収は?

大川裕之氏の宝塚市議会議員時代の年収についてまとめていきます。

宝塚市公式サイトによると、議員報酬は月額563,000円、期末手当は、6月と12月に支給され、それぞれ月額報酬 × 1.45 × 1.70です。

議員報酬:563,000円×12ケ月=6,756,000万円
期末手当:563,000円×1.45×1.70×2=2,775,590円
年収:6,756,000万円+2,775,590円=9,531,590円

大川裕之氏が宝塚市議会議を務められていた際の年収は約9,531,590円と予想されます。

大川裕之氏は、株式会社ネクストアクシス代表取締役社長に就任していますが、それを含むその他の収入については確認できませんでした

大川裕之/宝塚市長選挙の実績や評判は?

大川裕之氏は、4期14年の宝塚市議会議員の経験をお持ちです。

2011年に宝塚市議初当選、1期目は公共施設の老朽化、職員給与の逆転現象など市政の問題を提起し、2期目には行財政改革調査特別委員長に就任し、50億円超の財源不足解消に尽力されました。

また、3期目にはコロナ対策として、2020年6月分の報酬全額カットを全会一致でとりまとめ、4期目には「財政非常事態宣言」の発令を求める決議を全会一致でとりまとめてこられました。

行財政経営に関する調査特別委員会、行財政改革調査特別委員会など多くの委員長を歴任するにとどまらず、商工議連、観光振興議連の会長も務めるなど、宝塚市のためにご尽力されています。

このような大川裕之氏の実績に信頼が寄せられ、周囲の支援者から今回の市長選出馬要請があったのではないかと推察されます。

大川裕之/宝塚市長選挙の公約は?

大川裕之氏は、公式サイト公報で以下の内容を記載しています。

■宝塚駅周辺を経済・文化芸術の核とし、武庫川左岸側、右岸側に公共施設等を集めた「生活の核」をそれぞれ一つずつつくる
■これらの核や病院、鉄道駅などを皆さんが住んでいる地域と細やかに結びつけるオンデマンド型交通を導入する
■西谷地域も含め、市内に防災道の駅などの防災支援拠点の誘致を目指す

・高齢者が元気で活躍する
 介護度の改善と地域交通の向上
 高齢者が抱える課題は先進事例で解決を
・子どもが夢にチャレンジする
 スポーツに励む子も、学校に行きにくい子も、その子らしさを伸ばす
・人が繋がり街が活気づく
 公園にカフェ、道の駅
 国や県、民間との共創で魅力ある街をつくる
・財政を健全化し未来へ投資
 期間限定で約20億円の収支改善
 これまで議論して来た4つの手法で着実に実現

宝塚市議を14年間経験している大川裕之氏は、市政の中にいたからこそ、市の抱える問題が明確に把握できているのでしょう。

特に「前市政から積み残されてきた課題に現市政が取り組み切れなかった結果の財政難」と、渦中にいた宝塚市の財政危機を認識し、「期間限定で20億円規模の収支改善を目指す」と主張されています。

まさにその自信は、公報に明記された「財政の健全化は市政のど真ん中にいた私にお任せを。」という言ににじみ出ている印象があります。

大川裕之/宝塚市長選挙の立候補した理由は?

大川裕之氏の出馬理由の詳しい情報は確認できませんでしたが、2月26日の出馬会見後、ご自身のFacebookに以下の通り掲載しています。

”1月末から2月にかけて、市民の有志や議員等から「財政難の宝塚市を立て直せるのは、大川さんだけだ」と立候補の要請がありました。

ただ、財政再建への期待の声が高いゆえに、その道筋が示せないのであれば、立候補すべきでないとも考えていました。

少し時間はかかりましたが、一つ一つ数字を積み上げて、シミュレーションをした結果、再建への道筋が見えましたので、この度、皆様の声にお応えしようと、立候補を決意しました。”

大川裕之氏は、加えて、市議としての14年間の経験を糧に「当面の危機は乗り越えられる」と判断しておられ、自信を持っての出馬決意を示されています。

タウンミーティングなどで政策ビジョンの説明をされる方針でしたから、多くの有権者にその具体的政策が届いていることと推察いたします。

大川裕之/宝塚市長選挙の選挙結果は?

大川裕之氏はこれまで、1回の宝塚市長選挙、4回の宝塚市議会議員選挙に挑戦されています。

2006年04月09日投票日、宝塚市長選挙。投票率45.62%、得票数3,748票で落選

2011年04月24日投票日、宝塚市議会議員選挙。投票率41.26%、得票数2,968票で当選

2015年04月26日投票日、宝塚市議会議員選挙。投票率41.29%、得票数2,156票で当選

2019年04月21日投票日、宝塚市議会議員選挙。投票率38.42%、得票数2,445票で当選

2023年04月23日投票日、宝塚市議会議員選挙。投票率39.39%、得票数3,221票で当選

大川裕之氏は、2006年の宝塚市長選挙では落選したものの、宝塚市議会議員選挙は2011年から4期連続当選し、通算14年に及ぶ間、市議を務められました。

今回は、2回目の市長選挙挑戦のために任期途中で、市議を辞しての出馬となっています。

大川裕之/宝塚市長選挙の引退の可能性は?

大川裕之氏引退についての情報は確認できませんでした

大川裕之氏は今回が2度目の市長選挙への挑戦ですが、市議4期、通算14年以上の議員経験があり、多くの賛同者が集まっています。

また、今回は、宝塚市が直面する財政危機の問題をよい方向に転換できる、好循環に導けるという自信を持っての出馬であることから、市の財政に関する課題が解決されない限り、今回落選となっても、再び市政への挑戦はされるのではないかと思われます

まとめ

宝塚市長選挙には、大川裕之氏の他に、立民、共産党、社民党が応援する森りんたろう氏と、元兵庫県議会議員の小西彦治氏が立候補する新人3人による争いとなっています。

宝塚市は深刻な財政難に陥っており再建策が論戦の主テーマとなる他、人口減少・少子高齢化に伴う財政の立て直し、子育て支援策、医療・介護の体制整備などが争点になると思われます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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