任期満了に伴う沖縄県那覇市長選挙(2022年10月16日告示、10月23日投開票)に新人の翁長雄治氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので翁長氏に関する情報をまとめています。
翁長雄治氏の
-
・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他
などについて記事をまとめていこうと思います。
翁長雄治/那覇市長選挙の経歴や家族は?
名前 | 翁長雄治(おながたけはる) |
---|---|
生年月日 | 1987年生れ(35歳) |
出身地 | 沖縄県那覇市大道 |
最終学歴 | 国際武道大学体育学部武道学科卒業 |
職業(前職) | 沖縄県議会議員 |
趣味 | スポーツ観戦、料理 |
翁長雄治氏は「米軍普天間基地の辺野古移設に反対する革新の共同体」(オール沖縄)の元祖となった自由民主党の保守政治家、故翁長雄志前沖縄県知事の次男です。
大同小学校、真和志中学校、興南高等学校と、高校まで地元の学校を卒業して、大学は千葉県の国際武道大学体育学部武道学科で柔道とスポーツトレーナーの勉強をされました。
大学卒業後は沖縄に帰り、2010年に民間企業に就職して営業職を7年間された後、2017年に那覇市議会議員に当選されています。2020年には市議会議員を辞職して沖縄県議会議員に当選されました。
特技は柔道で弐段です。
今回の市長選挙には、オール沖縄による擁立を受けて立候補されました。無所属で、共産党、立憲民主党、社会民主党、沖縄社会大衆党、れいわ新選組、にぬふぁぶしの推薦を受けています。
自由民主党、公明党の推薦を受けた知念覚氏との一騎打ちの見通しです。
翁長雄治/那覇市長選挙の学歴は?
翁長雄治氏の学歴は、興南高等学校卒業、国際武道大学体育学部武道学科卒業です。
出身高校は?
興南高等学校は、沖縄県那覇市にある私立の高等学校です。
設立は1962年で、県内の私立高校では最も伝統がある模様です。普通科と商業科で発足しました。
1985年には中学校を併設。1994年には高等学校の商業科が廃止されて普通科のみになり、現在は普通科(フロンティアコース(中高一貫)、特別進学コース(標準・発展)、総合進学コース)の構成になっています。
進学設備も充実していて現役の大学進学率は8割を超えています。
部活動においては野球部が甲子園の常連校であり、ハンドボール部もインターハイで全国制覇を果たしました。
出身の有名人としては野球選手の島袋洋奨や、元プロボクサーの具志堅用高がいます。
翁長雄治氏は高校から入学されたので普通科の特別進学コース(標準・発展)か総合進学コースだったと思われます。
出身大学は?
国際武道大学は、千葉県勝浦市に本部を置く私立大学です。
東海大学の創立者でもある松前重義氏によって1984年に設置されました。
体育学部(武道学科、体育学科)の他、外国人留学生のための「別科」、大学院を擁しています。
翁長雄治/那覇市長選挙の家族は?
「米軍普天間基地の辺野古移設に反対する革新の共同体」(オール沖縄)の立役者となった翁長雄志沖縄前知事には4人のご子息・ご息女がおられ、雄治氏は次男・第3子として生を享けました。
ご自身は3人のご子息の父親で、現在は上の双子が5歳、下が3歳です。
今回の出馬表明の場に奥様と3人のお子様も同席されていました。
翁長雄治/那覇市長選挙の年収は?
翁長雄治氏は沖縄県議会議員でした。
沖縄県のホームページ上に「給与・定員管理等の状況」が公開されています。
最新データは2021年度分であり、24ページ目を見ると、下表の計算により、翁長雄治氏の県議会議員としての年収は基本的には11,325,000円と推定できます。(通勤手当等を除く)
期末手当:750,000円/月 × 3.10か月 = 2,325,000円
翁長雄治/那覇市長選挙の実績や評判は?
翁長雄治氏は、「米軍普天間基地の辺野古移設に反対する革新の共同体」(オール沖縄)の立役者、前沖縄県知事の翁長雄志氏のご子息です。
オール沖縄から今回の市長選挙の候補者に擁立されましたが、背景として、その出自に加えて那覇市議会議員と沖縄県議会議員に高位当選をされてきたことが思い当たります。
「翁長雄治氏 出馬表明(動画あり)」で翁長氏への期待の大きさが窺えます。
「翁長雄治氏の公式サイト-挨拶」には、沖縄県知事の玉城デニー氏(オール沖縄派)や現那覇市長の城間幹子氏の応援メッセージが掲載されています。
※但し、城間氏は「米軍普天間基地の辺野古移設」問題と今後の那覇市政との分離を提言されていたこともあり、翁長雄治氏の公式サイトに応援メッセージを掲載された時点では特定候補の支持を表明されたわけではありません。10月12日付で最終的に対立候補の知念覚氏支持に回られました。
翁長雄治/那覇市長選挙の公約は?
翁長雄治氏の公約については、「公式サイト-政策」にまとめられています。
…休業に伴う補償制度の拡充と助成・給付制度の要件緩和、緊急経済対策の早期実現、マスクや防護服などの医療資材の不足解消、ライブスルー検査などのPCR検査体制の拡充、小中高校におけるオンライン授業の実現
➁子ども、子育て、教育
…中学校までの医療費無料化、保育士の待遇改善・保育士不足の解消・待機児童の解消、子育て世代包括支援センターの設置、離島の進学支援、ひとり親の学び直しの機会の提供
➂医療、福祉
…健康長寿県の復建、琉球大学への薬学部の設置、健康づくりアプリ作成の推進による予防医療の推進、介護従事者の待遇改善、災害時における医療福祉拠点の設置
➃経済、観光
…首里城の早期再建、労働環境の改善、那覇ー本部間の高速艇、鉄軌道・LRTなど新交通網の整備(新型コロナウイルスによる打撃からの回復、事業継続・雇用継続支援)、公契約条例の運用推進、多面的な人材育成、若者の企業支援
➄基地問題
…オール沖縄で建白書の実現を目指す、普天間飛行場、那覇軍港の早期返還、辺野古新基地建設反対、日米地位協定改定の実現、PFOS(泡消火剤)の使用禁止
翁長氏は、子育て関連の政策を最も重視する考えを示されました。上表では「➁子ども、子育て、教育」に相当することでしょう。
ただ、➀~➃は対立候補の知念覚氏との違いは大きくないかも知れません。
➁についても現市長の城間幹子氏は長年教員をされてきた方で、対立候補の知念覚氏は那覇市職員、副市長として市政を支えてきた方です。
知念氏は「➃経済、観光」により注力されるように思われますが、「政府・与党と連携するので『➁子ども、子育て、教育』に回す予算もしっかりと確保する」腹積もりかも知れません。
翁長氏は「政治の役割に未来を担う子供たちの環境をつくっていくことがある。子供たちの環境とは即ち我々大人である。大人がしっかりと幸せにならないと子供を大切にできない。」と訴えていて、それが印象的でした。
決定的な対立点・争点は何といっても「➄基地問題」でしょう。
対立候補の知念覚氏の考えは「辺野古新基地の問題は那覇とは関連が薄いので分離して考えるべき。同基地建設の是非はともかく、那覇市政に限れば同基地建設を推進する政府与党(自由民主党・公明党)と対立する意味はない。予算面等、市政を円滑にする上で政府与党とは連携すべきである。」といえるでしょう。
対して、翁長氏とオール沖縄は、「辺野古新基地の問題と那覇市政とは不可分である。地方自治体にとって必要な予算は当然に与えられるべきものであり、政策が違うことを理由として政府が拠出を渋ることは許されない。予算を得るために地方自治体が政府に譲歩すべきではない。」と批判されています。
翁長氏の話を拝聴していると、「一見無関係に見えることでも深いところで繋がっていることが往々にしてある。安易に妥協してはならない。」と訴えられているようでもあり、安易なプラグマティズムに靡かない骨太さを感じました。
更に、「基地問題を那覇市政から切り離して矮小化してはならない」「県全体の問題を各市町村が共有せず、県の頭越しに国とのパイプを作ってしまうと、県と市町村が分断されて各市町村は国の言いなりになってしまう。」との主張が読み取れ、一理も二理もあると思われました。
翁長雄治/那覇市長選挙の立候補した理由は?
那覇前市長の城間幹子氏は自らは「米軍普天間基地の辺野古移設反対」を堅持しつつも、那覇市政との扱いの切り離しを提言されました。
城間前市長を支えてきた副市長の知念覚氏も同様の立場です。
結果、「米軍普天間基地の辺野古移設に反対する革新の共同体」(オール沖縄)勢力の候補者選びは難航し、那覇市長選挙の残り2か月に迫った8月22日、漸く候補者擁立に漕ぎ着けました。
その候補者が翁長雄志前知事の次男であり沖縄県議会議員の翁長雄治氏だったということです。
翁長氏が政治家を志した原点には父・翁長雄志氏の影響が大きいのは勿論ですが、自ら父親となり子育てをする中で同世代の悩みに接したことがきっかけで、「政治には多くの生活課題を解決する力がある」と確信したことを知念覚氏との座談会の中で話されていました。
翁長雄治/那覇市長選挙の選挙結果は?
翁長雄治氏は2017年に那覇市議会議員選挙、2020年に沖縄市議会議員選挙(那覇市・南部離島選挙区)に立候補して、何れも1位2位の高位で当選されています。詳しくは以下のとおりです。
【那覇市議会議員選挙】
【沖縄県議会議員選挙(那覇市・南部離島選挙区)】
※全県では定数:48、候補者数:64、投票率:46.96%。
翁長雄治/那覇市長選挙の引退の可能性は?
翁長雄治氏は現在35歳で、一連の動画を視ても正に上り坂の政治家と感じられました。引退は想像できません。
まとめ
対立候補の知念覚氏は10月11日に政策を発表されていて、動画を拝見しました。
翁長雄治氏が政府に対して理を力強く訴える語り口とすれば、知念氏は冷静で具体性に富み、特に那覇市の経済発展やSDG’sに目配りが利いている印象を受けました。
知念氏は城間幹子市長を副市長として支えて来られたので、元々後継者的な立場だったと思われますが、10月12日に正式に市長からの支持を受けました。
【琉球新報】城間市長、自公が推薦する知念氏の支持表明 那覇市長選 「私は保守中道」
これは翁長氏にとって、痛手には違いありません。
知事選挙では、オール沖縄派の玉城デニー氏が勝利しましたが、市長選挙では必ずしも同派が優勢とは言えません。
一方で今、政府与党にとっては国葬・旧統一教会の問題が逆風になる一方で、今日の安全保障環境が追い風になるかも知れず、予断を許さない状況です。
沖縄県最大の都市であり県庁所在地でもある今回の那覇市長選はオール沖縄派・玉城知事の今後について重要な意味を持つでしょう。
オール沖縄の理念の根本の「米軍普天間基地の辺野古移設」反対の思いは2候補とも共有されていて、義・理を取るか、現実的に(公的な)利を取るかの選択で翁長氏と知念氏の主張は分かれたのかも知れません。
合理的な判断で政府と連携しても、結果として政府・与党に取り込まれる懸念があるので、翁長氏はじめオール沖縄の主張は、少なくとも牽制の意味では重要といえるでしょう。
知念氏との座談会での翁長氏の話を拝聴したとき、「一見無関係に見えることでも深いところで繋がっていることが往々にしてある。安易に妥協してはならない。」と訴えかける力を感じました。
知念氏の支持を表明された城間幹子現市長は長年教育者をされてきましたが、その実存に哲学的な問いを発する、沖縄県の政治思想に一石を投じるような印象を、大げさかも知れませんが持ちました。
一方で座談会のクロス討論で、「子ども、子育て、教育」理念の実現について、知念氏から具体的な政策と財源確保を質問されたとき、政策は兵庫県明石市の事例を示して回答されていました。財源については知念氏からは「どの予算を削って回すか」を問われていましたが、翁長氏の回答は「大人にも支援して税収を増やす」でした。
「翁長氏が逃げた」ということか「十分な回答には時間が必要なので短時間で簡潔に回答した」と評価すべきか筆者には難しい問題ですが。質問については、かなり意地悪で、相手の未熟さを巧妙に炙り出す意図が感じられました。ただ、これは市政のエキスパートの市職員出身者としては一般的かつ当然な質問かも知れませんので余計に対応が難しかったと思われます。
一方で基地問題については翁長氏は一切ブレず、クロス討論で知念氏に対し「曖昧な態度」「矮小化」と批判されていました。
これに対して知念氏は「『曖昧な態度』と仰るが、自分は市長候補としての権限を守っているということ。」の趣旨で反論し、「苦渋の決断をした他自治体(名護市)の判断を尊重する」と繰り返し回答されていましたが、翁長氏は「先ほどから『苦渋の決断』と仰るが、それを強いてきたのは国である。国の態度はとても誠実とはいえない。」と指摘して政府与党の支持を受けた知念氏を批判されていました。
また、「『市政の推進のためには国との協調が大事』と言われているが、自民党選出の国会議員が沖縄担当大臣になってから予算が減らされている。我々は政府の言うことに首を振るなということか。わざわざ自民党・公明党の推薦を受けるべきではなかったのでは?」とも質問されていました。
知念氏は、那覇市職員・副市長として38年のキャリアですが。
辛辣な質問にひるまず、正攻法で押し返し畳みかける翁長氏に力強さを感じました。