今回の記事では2025年4月6日告示、4月13日投開票予定の宝塚市長選挙に出馬した森りんたろう氏について記事をまとめていきます。
森りんたろう氏の
- 経歴
- 家族
- 年収
- 選挙結果
などについて記事を書いていきます。
森りんたろう/宝塚市長選挙の経歴は?
本日の午前中は、イズミヤ前や末広中央公園横など、6ヵ所で元気いっぱい訴えました。多くのご声援をありがとうございます!(スタッフ)#森りんたろうを宝塚市長に #森りんたろう #宝塚市長選挙 pic.twitter.com/fm8mmreSqf
— 森りんたろう後援会【宝塚市長候補】(もりりんの会) (@moririn2025tk) April 6, 2025
名前 | 森臨太郎(もりりんたろう) |
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生年月日 | 1970年9月17日 |
出身地 | 神戸市 |
最終学歴 | 岡山大学医学部卒業 ロンドン大学大学院修了 |
職業(前職) | 大阪大学大学院医学系研究科・次のいのちを守る人材育成教育研究センター・特任教授 関西学院大学客員教授、宝塚市立発達支援センター非常勤医師なども兼務 |
趣味 | キンドルで読書、ガーデニング、自転車 |
森りんたろう氏は、日本の新生児医療を立ち上げた先達の一人、三宅廉先生がはじめた病院で1970年に生まれておられ、のちにご自身が新生児医療を志すようになったのは不思議な縁だと感じておられます。
小学校の夏休みに、長野県小谷村の真木共働学舎でさまざまな障がいとともに生きる人たちと、助け合って自給自足の小さな社会の一員となる経験をされたことから、お互いに支えあって暮らす社会のあり方を学んだそうです。
中学高校時代は、六甲学院で心身ともに鍛えられ、ボランティア活動では、病気と健康と人生の意味を考えたと振り返っておられます。
そのころ、自転車にはまり、通学だけではなく、時には六甲山最高峰に自転車で登っていらしたようですが、選挙ポスターの隅のキャラクターや「もりりん」の愛称の出自がわかる逸話です。
岡山大学医学部在学中に発生した阪神淡路大震災のボランティア活動への素早い参加は、その後の医師活動における緊急対応力を彷彿とさせます。
大学卒業後は、淀川キリスト教病院での研修、瀬戸内海の島々や中国山地の村の病院から、都市部の中核病院まで経験して、小児科専門医となられました。
さらには、世界に出てオーストラリアでは小児科医として診療に従事、人口密度の低い地域での医療や、飛行機やドクターヘリを使った救急医療の活動、ネパールをはじめとする途上国での診療支援を経験され、そのころから制度や文化がいのちやくらしに影響を及ぼすことを強く感じるようになったそうです。
人々のいのちやくらしに大きく影響を及ぼす社会の制度や政策を勉強したいと考え、ロンドン大学の大学院に入学、在学中からブレア政権肝いりの保健省の組織に就職し、科学的根拠と市民参画を基にした政策作りに関わり、それらの成果により英国小児科学会からフェローの称号を授与されました。
2007年に一旦日本へ帰国し、大阪府立母子保健総合医療センターでの大阪府の母子保健業務を端緒に、世界保健機関への出向、東京大学大学院医学系研究科准教授など経て、国立成育医療研究センター政策科学研究部長として、厚生労働省をはじめ、国内外のさまざまな行政機関とともに、研究と政策を繋げる仕事をされました。
2018年には再度世界へ出て、国連人口基金で、国連職員としてアジア太平洋地域の少子高齢化関連政策を担当されました。
日本より急速に進んでいる少子高齢化への対応を迫られるアジアの中進国で、国家の基本戦略を策定したり、ブータンの奥地で子育てや高齢化の悩みをお聞きし、国連会合では人口問題への対応で連携を訴えるなど、多くの経験をされました。
新型コロナウイルス感染症流行により、国連でも働き方が変わり、2021年頃から宝塚とタイ・バンコクの二つの拠点で暮らすようになったそうです。
緑豊かで美しい宝塚で生活し、地域でさまざまな活動をしている市民グループの活動に触れ、原点に返り、市民が集まって、自分たちのまちを良くしていく活動の大切さを改めて感じたそうです。
2023年に国連は退職して拠点を宝塚のみにして定住されました。
今回の市長選は、森りんたろう氏自身が目指す市民参加型の政治を市民に示して問うことが、民主主義の形であるという姿勢と決意であるようですが、その出馬には支援者からの強い要請があったようです。
森りんたろう氏公式サイト
森りんたろう氏Instagram
森りんたろう氏Facebook
森りんたろう氏X
森りんたろう氏YouTubeチャンネル
森りんたろう/宝塚市長選挙の学歴は?
森りんたろう氏の学歴は、六甲学院中学校・高等学校卒業、岡山大学医学部卒業、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(London School of Hygiene & Tropical Medicine)修了です。
出身高校は?
六甲学院中学校・高等学校は、1937年イエズス会が日本で設立した最初の中等教育の学校です。
神戸市に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校で、高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校で、2016年度に「六甲中学校・高等学校」から改称したそうです。
全世界のイエズス会学校のモットーである「Man for Others, with Others、他者のために、他者とともに生きる人間」を教育目標にしており、優れた知性と人格を兼ね備えた人間的卓越性(human excellence)を追求する全人教育が特徴です。
慶應義塾大学、早稲田大学、東京理科大学への指定校推薦枠もあるそうですが、例年、生徒全体の4割前後が東大、京大、阪大、神大等の国立大学に進学しています。
出身大学は?
岡山大学は、1870年創立、1949年に大学設置された岡山県岡山市にある国立大学です。
岡山大学は10学部7研究科1プログラム4研究所、大学病院そして附属学校園という大きな規模の総合大学ですが、その起源を1870年に設置された旧岡山藩医学館に置いており、中心となる医学部の鹿田キャンパスは、戦前の旧制岡山医科大学のキャンパスをそのまま使用しているそうです。
森りんたろう氏は、在学中に院内感染に関するイベントを開催し、医療の問題で社会とつながり、地元メディアで大きく報道されたことがあります。
同じく在学中の1995年に発生した阪神淡路大震災では、医療ボランティアチームの一員として、ひびの入った長田区の保健所で活動されたそうです。
ロンドン大学衛生熱帯医学大学院(London School of Hygiene & Tropical Medicine)は、公衆衛生や熱帯医学を領域とする大学院大学で、世界各国から多くの学生や研究者が集まっている教育・研究機関です。
1899年パトリック・マンソンによって創立された、公衆衛生と感染症研究においては世界最高水準の機関の一つであり、世界屈指の公衆衛生・感染症学の名門ですが、学部課程のない修士・博士課程のみの高等教育機関です。
教育プログラムは、集中対面修士課程、遠隔学習プログラム(PG 証明書、PG ディプロマ、修士課程)、短期コース、研究学位など、さまざまなコースが提供されているようです。
また、MPhil(修士号)、PhD(博士号)、DrPH(公衆衛生博士号) の学位につながる研究プログラムがあり、3つの学部(疫学と人口健康、感染症および熱帯病、公衆衛生と政策)のいずれかで研究を申請できます。
森りんたろう氏は、卒業前からブレア政権肝いりの保健省の組織に就職し、科学的根拠と市民参画を基にした政策作りに関わり、新聞にも大きく取り上げられる成果を残すなどし、英国小児科学会からフェローの称号を授与されています。
森りんたろう/宝塚市長選挙の家族は?
森りんたろう氏には、小児科医の妻森享子氏と二人のお子さんがいらっしゃいますが、詳しい情報は確認できませんでした。
奥様の森享子氏は、現在こもれびの森診療所の院長をされておられお忙しいと思いますが、2015年にはご夫婦二人で、助産雑誌(医学書院)の記事連載を通して妊娠出産時に本当に必要なお母さんへのケアを伝えられておられます。
森りんたろう/宝塚市長選挙の年収は?
森りんたろう氏は2023年に国連職員を退職し、その後は特任教授や非常勤講師、非常勤医師の肩書がありますが、年収については確認できませんでした。
森りんたろう/宝塚市長選挙の実績や評判は?
森りんたろう氏は今回が初めての選挙で、政治家としての活動も経験もありません。
ただし、医師として日本各地、世界各国で活動される中で、人々のいのちやくらしに大きく影響を及ぼす社会の制度や政策を勉強したいと考えるようになり、英国ブレア政権下における診療ガイドラインの作成、日本における産後健診制度の設立、バングラデッシュにおける市民グループ形成政策や、モンゴルでの母子手帳導入など、幅広い政策策定に関わった経験をお持ちです。
2021年からはコロナ禍の影響で国連の働き方が変わり、宝塚とタイ・バンコクの二つの拠点で暮らすようになったそうです。
そして、宝塚の地元地域でさまざまな活動をしている市民グループの活動に触れ、原点に返り、市民が集まって、自分たちのまちを良くしていく活動の大切さを改めて感じる一方、地域の方たちからの信頼を得ていったようです。
森りんたろう氏の医師として、また多様な経験に基づく分析力、政策策定の能力はもちろん、世界という大きな活躍の場があるにも関わらず地元地域やそこに住む人々の生活を大切にする人間性が見過ごされるわけはなく、地域の方たちからの強い後押しで、今回の出馬につながっていると推察します。
森りんたろう/宝塚市長選挙の公約は?
森りんたろう氏は、公式サイトや公報で以下の通り掲載しています。
①いのちを守るまち
市立病院建て替えも含めた医療、福祉、介護資源のネットワークの構築。
住みなれた地域で安心して暮らし続けられるまちを造ります。
②暮らしを支えるまち
出産、子育て支援から高齢者支援まで、実現するまちづくり。
ハードとソフトの両面から環境整備を行い、すべての世代がいきいきとくらせるまちを創ります。
③未来につづくまち
市民参加型の行財政改革による財政基盤の安定。
経緯と現状分析と評価をもとに、市民と専門家の力で、将来にわたって持続可能なまちを創ります。
小児科医であり、世界で政策面にも関わりながら活動をされてこられた森りんたろう氏は、地域そしてそこで暮らす個々の人々の幸せをとても大切にされています。
そして、YouTubeチャンネル内で言及した「人間を信じている」という言葉にも、森りんたろう氏が一人ひとりの人間を大切にしている信条の一貫性があります。
まちづくり、地域づくりの中心に一人ひとりの人間を据え、その人間の幸せを支えるための政策を明確にしている点が、森りんたろう氏らしさを際立たせている印象があります。
森りんたろう/宝塚市長選挙の立候補した理由は?
森りんたろう氏は、2月4日の出馬会見で以下の回答をしています。
「なぜ市長選に立候補したのか」という質問に対して、「日本の未来は地方から出てくる。地方は日本の課題の最前線である。地方で市民参加型の行財政改革をしたい。だからその改革を地方である市でやりたい。」と述べられています。
おそらく森りんたろう氏は、政策で後押しすることによってそこに住む人々が自分たち自身でよりよい暮らしを実現させてきた実績を、まさに日本の地域から発信していきたいとお考えなのではないでしょうか。
また、同席した後援会の捕捉によると、「今までのキャリアからは国会議員で活躍されるべきではと問うたが、ご本人が地元の生活を良くし、活性化することにこそ強い関心があるという意志をお持ちだと確認した。だからこそ出馬を懇願した。」とも述べられています。
森りんたろう/宝塚市長選挙の選挙結果は?
森りんたろう氏は今回が初めての選挙です。
森りんたろう/宝塚市長選挙の引退の可能性は?
森りんたろう氏引退についての情報は確認できませんでした。
森りんたろう氏は今回が初めての選挙で、無所属で政党推薦は得ていませんが、立民、共産党、社民党の地方議員が応援し、国民民主党の衆院議員も駆け付け、応援の輪が広がっているようです。
また、森りんたろう氏には、地元をよくしたい、人々の生活を良くしたという強い思いがあり、政策で後押しすることで市民参加型の行財政改革を実現したいとお考えです。
地方こそ日本の未来だ、というお考えの森りんたろう氏は、今回落選となっても、市民参加型の政治に賛同してくださる多くの支援者と共に、再び市政への挑戦はされるのではないかと思われます。
まとめ
宝塚市長選挙には、森りんたろう氏の他に、元宝塚市議会議員の大川裕之氏、元兵庫県議会議員の小西彦治氏が立候補し、いずれも無所属新人3人による争いとなっています。
宝塚市は深刻な財政難に陥っており、再建策などが論戦のテーマとなると思われます。
最後までお読みいただきありがとうございました。