任期満了に伴う富山県知事選挙は10月25日に行われます。
10月8日に告示され、届け出順で、新人で元ガス会社社長の新田八朗さん(62)、同じく新人でNGO代表の川渕映子さん(71)、そして5選をめざす現職の石井隆一さん(74)の3人が立候補しています。
半世紀ぶりの保守分裂選挙とされ、現職の石井さんと新人の新田さんが保守票を奪い合い、川渕さんが社民、共産の応援を受けて独自の戦いを進める構図になっています。
今回は、新人の川渕映子さんの、
・経歴
・家族
・年収
・選挙結果など
について記事をまとめてみたいと思います。
川渕映子/富山県知事選挙の経歴は?
富山県知事選挙に立候補している川渕映子(かわぶち えいこ)さんの経歴は次の通りです。
生年 月日:1949年9月23日
出 身 地:富山市
出 身 校:北陸学園短期大学保育科卒業
趣 味:不明
座右の銘 :不明
好きな言葉:不明
かわぶち映子さんの支援団体・いのちの会のホームページ
かわぶち映子さんの支援団体・いのちの会の note ページ
かわぶち映子さんのtwitter account
いのちの会のtwitter account
いのちの会のfacebook account
かわぶち映子さんが代表を務める「東北エイド」のホームページ
かわぶち映子さんが代表を務めるNGO「アジア子どもの夢」のホームページ
富山県知事選挙 立候補予定者討論会(9月26日)YouTube動画
かわぶち映子さんは、1970年3月、短大卒業後、小矢部市の幼稚園や横浜市の養護施設に勤務後、1974年5月、海を越え、ベトナム戦争末期の南ベトナムに渡り、サイゴン市(現ホーチミン市)の日本人学校付属の幼稚園に勤務、傍ら難民救済活動に携わりました。しかしわずか1年後、ベトナム民族解放戦線のサイゴン制圧、米軍の撤退で帰国を余儀なくされます。
そして、1975年11月結婚しました。
人生をスタートしたばかり、20代での激しい戦火の下で生きているベトナムの子どもたちとの関わりが、おそらくかわぶち映子さんのその後の生き方の原点になったものと思われます。
かわぶち映子さんは1996年5月、22年ぶりにホーチミン市を訪問します。これをきっかけに同年12月、ベトナムの現状を主婦仲間5人と語り合って「アジア子どもの夢」を設立、代表に就任し、アジア各地の子どもを対象とする支援活動を始めます。2011年3月11日の東日本大震災発生時には、早くも19日に第一便で宮城県石巻市に支援に入り、その後復興を支援する富山の団体として「東北AID」を設立、代表に就任し、この支援活動も継続しています。
NGO代表として活動を通して、富山県民ボランティア大会運営委員、ボランティア活動推進富山県民会議委員、NPO法人富山県民ボランティア総合支援センター運営委員、NGO・NPOネットワークとやま代表などボランティア団体の要職を歴任しています。またその関係でしょう、富山県環境財団評議員、同福祉協議会評議員、同海外派遣事業実行委員、同男女共同参画審議会委員、富山市市民提案型まちづくり事業審査委員など行政の審議会等の委員も務めています。そして、それらの功績が評価され、2002年にとやま国際草の根交流賞を、また2005年度のボランティア活動推進富山県民会議会長表彰を受けています。
かわぶち映子さんは告示2ヶ月前の8月31日に立候補を表明しました。その記者会見で、立候補の理由について、若い頃戦乱のベトナムで子どもたちの救援に取り組んで以来、さまざまな市民運動に関わりながら、いつも市民、子どもが安心して暮らせるには本当に国民のことを考える政治が必要だと思い続けてきたこと、今の富山は議員による政務活動費の不正受給に象徴されるように、真に市民・県民のことを考える政治になっていないこと、今回知事選を控え市民団体である「オールとやま県民連合(オーとやま)」から出馬を求められたとき、自分が立候補することで本当の政治のあり方について有権者に考えて欲しいと思って決意したと述べています。
かわぶち映子さんが、「オールとやま」の出馬要請に「なぜ、私か」と問うと、「意外性がある」からというのが返答だったそうです。ご本人もそれを受け入れ、「意外性」が有権者に政治のあり方の考え直しを求めることもなるのではと述べています。
かわぶち映子さんは、政策の総論として、格差・貧困のない社会、多様性を認める社会の構築、医療・介護・福祉・教育現場への寄り添い支援、脱原発、地域循環経済、戦争絶対反対などを掲げています。
川渕映子/富山県知事選挙の家族は?
かわぶち映子さんの家族の状況については、紹介できる資料を見つけることができませんでした。
結婚はしていますし、年齢からしてお孫さんがいるのかもしれません。しかしSNS等でもいっさい見つけることができませんでした。
家庭状況の公開・非公開については、候補者によってその線引きがまちまちです。
かわぶち映子さんの場合、支援者・支援団体も含め、選挙に立候補するとしてもきちんと公私を分け、プライバシーを守る、大切にするという考えなのかも知れません。
川渕映子/富山県知事選挙の年収は?
かわぶち映子さんは、いくつかのNGO,NPOの代表です。しかし、寄付が非課税扱いになるような特定非営利活動法人ではありませんから、代表とは言え、いやスタッフを統括する代表だからこそ、定期的な報酬を得るのは困難なのではないかと思われます。
したがって、ここでは、全国のNG0専従スタッフの平均年収で予想してみることにしました。
いろいろ調べると、国際NGOスタッフの年収は、男性が331万円、女性が34万円とありました。
しかし、この額は寄付控除が認められる大きな組織の平均で、かわぶち映子さんが関わる組織はいずれもかなり小規模なようですから、実際は、これよりかなり低い可能性が十分考えられます。
川渕映子/富山県知事選挙の選挙結果や得票率は?
かわぶち映子さんは、今回知事選が初出馬です。
川渕映子/富山県知事選挙の引退の可能性は?
かわぶち映子さんは、今回知事選が初出馬です。
なので、今のところ引退の可能性は相当低いと思われます。
まとめ
NGOの代表として4半世紀を超えて市民運動の、ということは社会改革運動の先頭に立ってきたかわぶち映子さんです。生きづらさを抱えた人たちを苦しめるさまざまな社会的な矛盾・問題については、具体的に知り、骨身にしみていると思われます。だから、市民運動団体「オールとやま県民連合が「意外性があるから」と知事選への出馬を要請した時、ご本人もその「意外性」が必要だと理解を示し、出馬を引き受けたのではないでしょうか。
さまざまな活動経験があるとはいっても、70歳になってからの知事選出馬は、よく言う「清水の舞台から飛び降りる」よりもさらに思い切った決断が必要だったと思われます。それが可能だったのは、一貫して一市民、一民間人の立場で、本当に困ったさまざまな人たちに寄り添い、ともに生活を作り上げるなかで、問題の根っこに常に政治があり、人々の暮らしにことを真剣に考える政治家の必要性を痛感し続けてきていたからではないでしょうか。
これまで全国の知事選のあり方から見て、かわぶち映子さんの勝利はかなり厳しい、いや不可能だろうといわざるを得ません。しかし、それでも立ったかわぶち映子さんと、川渕さんを支援する人々の熱く、優しく、温かく、力強いこころざしは、多くの有権者の魂を揺すぶる何かを持っているのではないでしょうか。
つい先頃、北欧フィンランドの内閣の女性閣僚と、高齢で男子ばかりの日本の閣僚との対比写真がSNSで衝撃をもって拡がりました。かわぶち映子さんたちの思いは、日本でのそんなフィンランド同様の女性閣僚内閣の誕生に繋がる第一歩なかもしれません。
そうだとすれば、保守王国でも、富山は凄い。
なんとかして社会を変えたい、地域を変えたいと思いながらも政治の遠さを感じ、政治家のいい加減さに苛立っている全国のさまざまな運動に関わっている人々にとって、かわぶち映子さんの知事選挑戦は、市民の、女性の新たな政治参加のあり方として将来の大きな可能性を示していると言えます。
富山県知事は1969年以降、官僚出身者で占められ、今の現職に対しては初回から共産党系候補のみが連続4回挑戦し続け、惨敗を喫し続けている現実があります。保守王国です、さもありなんです。しかし、さすがに5回も同じ繰り返しはできない、もっと幅広く支持を拡げ、集められる候補者はいないだろうか。政党がもたもた人選に悩むなか最初に動き始めたのが市民団体の連合体「オールとやま」です。その行動が、かわぶち映子さんの出馬となりました。
支援団体いのちの会は、「明治以来150年近く続いた、男の価値観・男の目線による独りよがりな県政を、リセットしよう。いま、富山県を、本当に住みやすい、みんなが幸せになれる社会に出来るのは、女性の感性であり、女性の知事です。今回は100年に一度のチャンスです、新しい社会・新しい県政を「かわぶち映子さん」に託しましょう。」と訴えています。
富山県知事選で女性の立候補は1948年以来だそうです。おそらく全国にかつて存在したことがない市民本位の、市民による手作りの選挙が進行中です。富山の有権者にかわぶち映子さんたちお思いがどれくらい通じるでしょうか。投票日が待たれます。