姜尚中/サンデーモーニングの学歴や兄・長男は?病気についても!

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人物

今回の記事ではサンデーモーニングのコメンテーターとして活躍中の姜尚中氏について記事をまとめていこうと思います。

姜尚中氏の

・経歴
・学歴
・年収
・家族

などについて記事をまとめていきます。

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姜尚中の経歴や学歴は?

姜尚中氏の経歴や学歴についてまとめていきます。

姜尚中の経歴は?

名前 姜尚中(カンサンジュン)
生年月日 1950年8月12日
身長 不明
出身地 熊本県熊本市
最終学歴 早稲田大学政治経済学部卒業
早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了
職業 政治学者
思想家
エッセイスト
東京大学名誉教授
熊本県立劇場 館長・理事長
鎮西学院大学 学院長・理事・学長

姜尚中氏は、1950年8月12日に熊本県熊本市に在日韓国人2世として生まれました。

高校は熊本県立済々黌高等学校を卒業しています。

1974年に早稲田大学政治経済学部を卒業しました。

その後大学院に進学しており、1979年に早稲田大学大学院政治学研究科の博士課程を修了しています。

大学卒業後、奥さんの万里子氏と結婚し、一男一女が生まれました。

結婚後は、明治学院大学講師として家計を支えました。

職歴についてはこちらにまとめています。

1998年 東京大学社会情報研究所助教授
2004年 東京大学大学院 情報学環・学際情報学府教授
2010年 東京大学大学院 情報学環教授・現代韓国研究センター長
2013年3月 東京大学退職
2013年4月 聖学院大学 全学教授
2013年7月 聖学院大学 学長に選任される
2013年 東京大学名誉教授の称号を得る
2014年 聖学院大学長・総合研究所長・政治経済学科教授
2015年 聖学院大学学長を辞任
2016年 熊本県立劇場 館長・理事長
2018年 鎮西学院大学 学院長・理事
2021年 鎮西学院大学の初代学長

姜尚中氏は教育者として様々な経歴がありますね。

現在は、熊本県立劇場館長兼理事長鎮西学院大学の学長を務めています。

1991年の「朝まで生テレビ!」の出演をきっかけにメディアへの出演が増えるようになりました。

サンデーモーニングのコメンテーターなどメディアへの出演やエッセイストとしても活動しています。

姜尚中氏の趣味は、ゴルフ・登山・ドライブ・絵画・俳句などのようです。

奥さんと軽井沢をドライブをして、自然などの魅力に惹かれ2013年ごろから軽井沢に移住されています。

軽井沢で野菜を育てたり、自然に触れて生活されているようです。

姜尚中の本名は?

姜尚中氏の本名は、永野鉄男というようです。

在日韓国人として差別されることを避けるため、大学生まで「永野鉄男」という日本名を名乗っていました。

大学在学中に訪韓したことをきっかけに、1972年22歳の時から「姜尚中」と名乗るようになりました。

姜尚中の学歴は?

姜尚中氏の学歴ですが、熊本県立済々黌高等学校卒業早稲田大学政治経済学部卒業早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了になります。

大学院卒業後、西ドイツ・エアランゲン大学文学部研究生として約2年間留学しています。

姜尚中の出身高校は?

姜尚中氏の出身高校は、熊本県立済々黌高等学校です。

熊本県立済々黌高等学校は、1879年設立の伝統ある学校です。

文武両道を掲げていて、学業だけでなく部活動などスポーツも盛んに行われています。

運動会では、開催前に街頭宣伝パレードが行われ非常に盛り上がるようです。

教育面では、社会のリーダーとなるような人材育成を目指しています。

スーパーグローバルハイスクールの認定を受け、コミュニケーション能力や行動力を身につけることを目指しています。

卒業生には、有名人や文化人を多く輩出しています。

参考:熊本県立済々黌高等学校 ホームページ

姜尚中の出身大学は?

姜尚中氏の出身大学は、早稲田大学です。

1882年に設立された有名私立大学です。

早稲田大学は、

・学問の独立
・学問の活用
・模範国民の造就

を建学の理念として教育に取り組んでいます。

創立150周年(2032年)に向けて、「世界で輝く大学」を目指しています。

社会で活躍するグローバルリーダーの育成や研究分野にも力を入れています。

参考:早稲田大学 ホームページ

姜尚中の仕事は?

姜尚中氏は、東京大学教授・聖学院教授などを経て、現在は、鎮西学院大学の学長を務めています。

社会のリーダーとなる人材には教養教育が大切だと考えていて、教養と専門性習得できるような大学を目指しています。

姜尚中氏は、熊本県立劇場の館長も務めています。

熊本県民に寄り添い、劇場を県民の生活に潤いをあたえるような場所にしたいと考えているようです。

姜尚中氏は、テレビなどのメディアにも出演されています。

1991年のTBS「朝まで生テレビ!」の出演をきっかけにテレビ出演が増えています。

2009〜2011年にはNHK「日曜美術館」の司会を務めました。

現在は、「サンデーモーニング」のコメンテーターとしてニュースを解説されています。

姜尚中氏はエッセイストとして数多くの著書を出版されていますので、代表的な作品をいくつかご紹介します。

・2008年「悩む力

100万部以上を売り上げた姜尚中氏の代表的な著書です。

夏目漱石とマックスウェーバーの考えを参考にし、ストレスの中で苦しむ人々に生きる力を示す本です。

・2010年「母ーオモニー

朝鮮から日本に嫁いだ母が、貧困や人種差別の中で生きる姿を描いた自伝的小説です。

・2013年「

長男の死をきっかけに書かれた本のようです。

生きることの意味について執筆し、伝えることで、息子さんに近づきたかったと考えていたようです。

友人を亡くした大学生と先生がメールでやりとりする物語で、生と死について書かれた長編小説です。

姜尚中氏は、大学の学長・劇場の館長・メディアへの出演・エッセイストと多分野で活躍されています。

姜尚中の家族は?

姜尚中氏の家族についてご紹介いたします。

まずは両親についてご紹介します。

お父さんは1916年に朝鮮南部に生まれ、仕事を求めて日本へ渡りました。

お母さんは1923年に朝鮮に生まれ、1941年に日本へ訪れました。

お母さんは植民地支配の差別で小学校にも行けず、読み書きが出来なかったようです。

両親は日本で結婚し、熊本県で「永野商店」を開き、廃品回収を行なっていました。

姜尚中氏自身の家族は、息子がいるようです。

奥さんの万里子氏とは、大学時代に出会いました。

喫茶店でアルバイトをしていた万里子氏に姜尚中氏が一目惚れしたようです。

結婚後、埼玉県上尾市で暮らしていたようです。

1984年に生まれた息子さんの尚大氏は、2011年ごろ26歳で亡くなられています。

息子さんの死後、姜尚中氏と万里子氏は苦しまれたのではないでしょうか。

万里子氏は新興宗教に入信し夫婦間がうまくいっていないのではという噂がありますが詳細はわかりませんでした。

娘さんに関する情報は見当たりませんでした。

現在は、ご夫婦で軽井沢に移住し、家庭菜園などをして心穏やかに過ごされているのだと思われます。

姜尚中の年収や月収は?

姜尚中氏の年収について予想していきます。

姜尚中氏は、

・エッセイスト
・テレビのコメンテーター
・熊本県立劇場の館長・理事長
・鎮西学院大学の学院長・理事・学長

を務めています。

エッセイストの平均年収は、100万〜300万円という情報がありました。

姜尚中氏の著書「悩む力」はミリオンセラーとなっていますし、多くの著書を出版されていますので、エッセイストとしての年収は300万円ほどと予想されます。

 

次にコメンテーターについてですが、大学教授などがテレビコメンテーターとして出演する場合、1回の出演料は5万円ほどのようです。

週1回ほどテレビの出演があると仮定して、

5万円×52週間(1年間)=260万円

姜尚中氏のテレビコメンテーターとしての年収は260万円ほどと予想されます。

 

熊本県立劇場館長兼理事長の年収についての情報は得られませんでした。

学芸員の月収は平均20万円ほどで、館長の姜尚中氏はそれより高いと思われますので月収35万円と仮定して予想していきます。

月収 35万円×12ヶ月=420万円
手当 35万円×4ヶ月=140万円
年収 420万円+140万円=560万円

姜尚中氏の熊本県立劇場館長兼理事長としての年収は560万円ほどと予想されます。

 

最後に、鎮西学院大学の学院長・理事・学長について予想していきます。

大学の理事の平均年収は、1100万円ほどという情報がありました。

姜尚中氏の鎮西学院大学の学院長・理事・学長としての年収は1,100万円ほどと予想されます。

 

エッセイスト 300万円
コメンテーター 260万円
熊本県立劇場館長・理事長 560万円
鎮西学院大学学院長・理事・学長 1,100万円
年収 300万円+260万円+560万円+1,100万円=2,220万円

 

以上の結果から、姜尚中氏の年収は2,220万円ほどと予想されます。

参考:エッセイストの給与・年収は?現実問題として専業で生計を立てられるのは一握りの存在

参考:テレビコメンテーターのギャラいくらぐらい?平均相場は1回5万円

参考:学芸員の給料・年収

参考:【理事長とは】仕事内容や年収についてご紹介

姜尚中の病気は?

姜尚中氏は中学生の頃に、吃音を発症しています。

吃音とは「どもり」とも言われ、話す時に最初の音を繰り返してしまうなどの発声障害です。

中学3年生の頃、カミングアウトして大学生の頃には自然に症状がなくなっていったそうです。

日本名の「永野鉄男」から「姜尚中」と名乗るようになったのはこの頃です。

個人的な予想ですが、自分の出生を隠すことをやめたことで、自分らしく生きられるようになり吃音がなくなっていったのかもしれません。

現在では、吃音があったとは思えないほどなめらかに話されています。

まとめ

今回の記事では、姜尚中氏について記事をまとめてみました。

姜尚中氏は、在日韓国人2世として生まれましたが出生を隠して育ちました。

差別に苦しむ両親を見て育ったため悩んだこともあったようですが、大学時代から姜尚中という名前を名乗るようになり変わっていったようです。

現在では、テレビのコメンテーターやエッセイストとして活動されています。

苦しい経験があるからこそ、著書にも説得力が出るのだと思いました。

これからも著書やメディアなどでの活躍に期待しています。

ここまでお読みいただきありがとうございます。