現職議員の市長選挙出馬、参議院議員選挙出馬による辞職に伴う鹿児島県議会議員補欠選挙(2022年7月1日告示、7月10日投開票)に新人の岩重礼氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので岩重氏に関する情報をまとめています。
岩重礼氏の
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・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他
などについて記事をまとめていこうと思います。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の経歴や家族は?
名前 | 岩重礼(いわしげあや) |
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生年月日 | 1978年8月27日 |
出身地 | 鹿児島県 |
最終学歴 | 北九州市立大学法学部行政学科卒業 |
職業(前職) | 社会保険労務士 |
趣味 | 音楽の鑑賞(ロック・クラシック・ポップスなんでも)と演奏~踊る阿呆に見る阿呆、同じ見るなら踊らにゃそんそん~ |
岩重礼氏のプロフィールは
出生は鹿児島市内の病院ですが、家は出生時の姶良郡湧水町から鹿屋市→阿久根市→奄美市→姶良郡加治木町と移りました。現在は鹿児島市北部の伊敷在住とのことでした。
岩重氏のご両親が鹿児島県の職員で県内を転々としたとのことです。
鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業後、北九州市立大学法学部行政学科に進みました。2002年に卒業されたことが同窓会報の記事に記されています。
その後、就職して結婚し、2004~2005年頃にご息女を授かりましたが、育児と仕事の両立は困難を極め、終いに病気の子を入院させて病院から通勤する有様となってしまいました。
「このままではいけないと感じた私は仕事を辞め、その頃倒れた祖父の介護をしながら家庭に入ることにした。」そうです。
この頃のことを動画では「九州北部や兵庫県に居たこともあり、県外で結婚もしたが、15~16年前にシングルマザーとして鹿児島県内に帰ってきた。」と語られていました。
2006~2007年頃に介護離婚して鹿児島県に帰ったことになりますが、その後、社会保険労務士となります。
鹿児島を良くする志を抱き、数年前から自由民主党の地方政治学校「ふるさとリーダー育成塾 かごんま造士館」に参加します。
今回の選挙では「チーム岩重」を立ち上げて奮闘中ですが、本人によると、「初心者なので色々な人の力を借りなければ無理だから」とのことです。
社会福祉法人「正和会」の理事もされています。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の学歴は?
岩重礼氏の学歴は、鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業、北九州市立大学法学部行政学科卒業です。
出身高校は?
鹿児島県立鹿児島中央高等学校は、鹿児島市加治屋町に位置する、1963年開校の新しい学校です。
鹿児島県内屈指の難関校です。卒業生の多くは九州の大学に進学していますが首都圏や関西圏への進学者もいます。
2018年度~2022年度にスーパーサイエンスハイスクール指定校に指定されました。また、度々、県や市の保健優良校として表彰されています。
2004年からの自衛隊イラク派遣で第一次復興支援群長を務め、「我々はあなた方の友人として、サマーワに来た」と語りかけた番匠幸一郎氏は同校の卒業生であり、岩重氏の20年先輩に当たります。
出身大学は?
北九州市立大学は、福岡県北九州市が設立・維持する公立大学です。
キャンパスは北方キャンパスとひびきのキャンパスの2か所あり、何れも北九州市内です。
公立大学法人北九州市立大学定款の第1条は次のとおりのもので、理念が端的に謳われています。
創立者は大島直治氏で、鹿児島県名瀬市出身の倫理学者です。
戦後1946年に小倉外事専門学校として設立され、1950年に北九州外国語大学(外国語学部)に昇格しました。
1953年に北九州大学に改称され、商学部商学科が開設されます。
その商学部商学科は1973年に廃止され、代わって同年、法学部法律学科・政治学科が開設されます。
岩重礼氏の在籍されていた法学部行政学科は1993年に開設されました。(2000年に政策科学科に改組されています。)政治学科は同年から募集停止になっています。
2001年4月に現在の名称である北九州市立大学に改称されました。岩重氏の在学の最終年度に改称されたことになります。
現在、次の学部・学科と大学院を有しています。
・文学部(比較文化学科、人間関係学科) ・法学部(法律学科、政策科学科)
・国際環境工学部(エネルギー循環化学科、機械システム工学科、情報システム工学科、建築デザイン学科、環境生命工学科)
・地域創生学群地域創生学類
国際環境工学部と地域創生学群は岩重氏が卒業された後に開設された特に新しい学部です。それまでは完全に文科系の大学だったということですが。
時代の変化に合わせて柔軟に学生のニーズに対応してきた歩みだったと思われます。
なお、岩重氏在学中は夜間主コースも盛んでしたが、2009年度から募集停止となっています。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の家族は?
岩重礼氏は高校3年生のご息女が一人の、シングルマザー、ワーキングマザーです。
ご両親や親戚の方が近くにいて助かったとのことでした。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の年収は?
岩重礼氏は開業社会保険労務士ですが、社会保険労務士には開業派と勤務派とがあり、両者では年収の相場に違いがあります。
岩重氏は社会保険労務士の8割を占める開業派であり、その年収は300万円から1,000万円以上までかなりのバラツキがありますが、平均すると400万円から500万円くらいといわれています。
【参考】社労士の平均年収はいくら?実際に稼げるのはこんな社労士だ!
【参考】生涯学習のU-CAN 社労士の年収は?難易度や「仕事がない」の実態も解説
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の実績や評判は?
岩重礼氏の現在の職業である開業社会保険労務士となるには、難関の国家試験に合格し、事務所を開いて営業活動をしなければなりません。
シングルマザー、介護の傍ら、それを立派に成し遂げているところから、相当な能力とバイタリティーが感じられます。
また、2019年9月14日に大学の同窓会があり、参加者は12人で催されましたが、平成卒の参加者は岩重氏のみでした。女性の参加者も岩重氏だけでした。
人の縁を大切にされる人柄を感じました。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の公約は?
岩重礼氏は、自由民主党の立候補者紹介動画で、インタビュアーの質問に対し、次のとおり思いを語られていました。
・鹿児島県外や外国の事例を持ち込んで政治を身近なものにしたい。供託金も多大な資金も人脈もなくても立候補できる国もある。女性の社会参加を後押ししたい。
・鹿児島の良いものを積極的に発信して県としての稼ぐ力を高めたいとのことでした。
・日本だけではなく、鹿児島の地の利を生かしてアジアにも発信したい。
自身、介護の経験もあるので、その辺りも重視されることと思われます。
子育て支援・福祉・産業振興にバランスよく取り組まれる姿が想像できました。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の立候補した理由は?
岩重礼氏は、去年の12月か今年の1月まで県議会議員への立候補は思いもしなかったとのことですが、以前から鹿児島を良くする志を抱いていて自由民主党の地方政治学校「ふるさとリーダー育成塾 かごんま造士館」に在籍していました。
福祉関係の仕事をしていたにも拘らず、立憲民主党ではなく自由民主党の党員になった理由をインタビュアーに問われると、「社会保険労務士の仕事は現場の人だけではない。社会保険労務士に仕事を依頼するのは雇用側であるため。」と話されていました。
「かごんま造士館」は人材バンクではなく、メンバーは必ずしも政治家を志す人ばかりではありません。
今回の立候補は指名されたわけではなく、自分から党に擁立を申請したとのことでした。
社会保険労務士の仕事に関わる法律を作成・改正する仕事に関心を持ったことが理由でした。
鹿児島は良いものが沢山あるのにアピールできていない。しかし個人では熱い活動をしている方がいる、こういう方たちと繋がればもっと鹿児島を全体として元気にできる。
鹿児島県内のそれぞれの場所での良い思い出があり、市町村単位でも国政でもなく、鹿児島全体を良くしたいとの思いがあって、県議会議員に立候補したとのことでした。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の選挙結果は?
岩重礼氏の国・地方公共団体への立候補は今回が初めてです。
岩重礼/鹿児島県議会議員補欠選挙の引退の可能性は?
岩重礼氏は現在43歳。政治家として若く、これからの人です。
今回の県議会議員選挙への立候補は政治家としての今後を占う第一歩ですが、スタートとしては極めて素直と思われます。
バイタリティも感じられ、今回か次回の挑戦では当選されると思われます。
そうなると、今後長期に亘って政治家として活躍されることと思われます。
まとめ
岩重礼氏は、自由民主党の立候補者紹介動画のインタビューで「自分の強みは何ですか?たとえば語学とか…。」と問われたとき、次のように答えられていました。
もう一人の岩重さん(鹿児島県議会議員現職の岩重仁子(いわしげさとこ)氏)は語学が得意だが、私は熱く語っていきたい。
海外経験が豊富な年配の方を知っているが、その方は「どこにいても日本語で3回言えば通じる。例えばフランスで『箸持って来い。』と日本語で言うと現地の人がちゃんと持ってきた。」と言われていた。私も鹿児島の良さを発信して県外との縁を繋いでいきたい。
質問者に他の候補者よりも年齢が若いことを指摘されて、「その分フットワーク軽く動けるかと思います。」と回答されていました。
回答にユーモアがあって一切の嫌味がなく、大変な苦労を乗り越えてこられた豪快さ力強さを感じました。