藤山勝済/嬉野市長選挙の経歴や家族は?年収についても!

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市長

任期満了に伴う嬉野市長選挙(2022年1月16日告示、 1月23日投開票)に商業コンサルタント会社社長の藤山勝済氏が市長選3回目の立候補を表明されましたので、藤山氏に関する情報をまとめています。

藤山勝済氏の

・経歴
・家族
・年收
・選挙結果

などについて記事を書いていきます。

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藤山勝済/嬉野市長選挙の経歴は?

名前 藤山勝済(ふじやまかつなり)
生年月日 1950年10月5日
出身地 東京都千代田区
最終学歴 慶應義塾大学 商学部
職業(前職) 株式会社UMU 代表取締役社長
趣味 不明

藤山勝済氏は東京都出身。慶應義塾大学・商学部を卒業後、三井不動産に入社
住宅、商業施設、別荘地開発、アウトレットモールの開発・運営といったプロジェクトを経験されています。

2005年3月に三井不動産を退社し2005年4月に株式会社UMU(ウーム)を東京に設立されました。

商業/業務ビル、ホテルなどのマネジメント、商業施設開発の調査/企画/計画、流通全般のコンサルティング、海外視察研修等のコーディネート業務を提供されています。

そして藤山氏は2013年に嬉野市に移住し、2014年と2018年の嬉野市長選にも立候補されましたが、残念ながら結果は落選でした。

東京を拠点にしていた藤山氏がなぜ嬉野市に?と思ったので調べてみてところ、藤山勝済氏の祖父・相川勝六氏の出身が嬉野市という関係からでした。

相川勝六氏は宮崎/広島/愛知/愛媛各県知事、衆議院議員、厚生大臣を務めた政治家。

そんな祖父に育てられた藤山氏は小学生の頃から街づくりに興味を持つようになったそうで、三井不動産での担当プロジェクト、嬉野市長への立候補には祖父・相川勝六氏の大きな影響を感じますね。

嬉野市に移住したあとの藤山氏の活動はSNSで見ることができました。
街づくりの豊富な経験を発揮して、地域を盛り上げる活動に積極的に参加されています。

レインボータウンFM 地域活性化番組に出演の藤山氏

藤山勝済氏の趣味については情報が見当たりませんでしたが、かつてアメリカ・オレゴン州で320キロの距離を24時間で完走したという情報はありました。
もしかしたらマラソン、もしくは自転車などの趣味をお持ちかもしれませんね。

藤山勝済/嬉野市長選挙の学歴は?

藤山勝済氏の学歴は高校については情報がなく、慶應義塾大学・商学部卒になります。

出身大学は?

慶應義塾大学・商学部は神奈川県横浜市の日吉キャンパス、東京都港区の三田キャンパスにあります。

経済学部に設置されていた商学科が独立するかたちで1957年に慶應義塾大学商学部が設立されました。

経営、会計、商業、経済・産業と「商学」を幅広く学び、社会全体を見渡せる視野、社会をより良くするために必要な問題の発見・解決する能力を育成する独自の研究教育体制とカリキュラムの編成をはかっています。

藤山勝済/嬉野市長選挙の家族は?

藤山勝済氏のご家族については奥様がいらっしゃることはお話されていますが、お子さんについては触れている情報はありませんでした。

藤山氏の年齢からすると、お子さんがいたら独立されていて、お孫さんもいらっしゃる可能性はありますね。

藤山勝済/嬉野市長選挙の年収は?

藤山勝済氏の年収について情報はありませんが、中小企業の社長の年収は、平均で1750万円という情報がありました。

会社経営以外にも収入があるかもしれませんし、その平均額は会社規模や業種などで違いがあると思うので、あくまでも参考となります。

藤山勝済/嬉野市長選挙の実績や評判は?

藤山勝済氏の実績について調べてみました。

三井不動産に入社してから会社を設立した現在まで、ずっと街づくりに携わっていらっしゃいます

三井不動産在籍時は、「横浜ベイサイドマリー ナショップス&レストラン」、「マリンピア神戸」、「ガーデンウォ~ク幕張」などのアウトレットの開発を主導。

商業施設本部本部長補佐兼六本木プロジェクト推進部部長補佐に就任してからは、東京ミッドタウンプロジェクトの商業部分の開発も担当されました。

2005年に株式会社UMUを設立後は「JR駅ビル協議会」の海外研修や、「繊研新聞社ビジネス懇話会」の海外研修など社員教育分野、「日本ショッピングセンター協会」や「IFIビジネス・スクール」での講師・講演などの事業も展開されています。

嬉野市に移住後は嬉野本通り商店街にミキハウスのアウトレット店をオープンしたり(現在は閉店)、肥前吉田焼窯元協同組合の販促アドバイザー、長崎県の商業施設「コレモおおむら」設立も手掛け、そこでイベントも開催されてるようです。

祖父の影響で抱いた子供の頃の興味「街づくり」をずっと実行、そして実現されてきたんですね。

藤山氏の好きな言葉
「継続は力なり」
「成せばなる 成さねばならぬ何事も」

想いを現実にしてきた実績は、街づくりが好き、嬉野市を良くしたい、貢献したいという藤山氏の真剣な気持ちの現れだと思います。

藤山勝済/嬉野市長選挙の公約は?

藤山氏は記者会見で公約について述べられています。

「旅館や飲食店、農業を支援して元気になってもらい、雇用を生む循環を目指す」と述べ、8月の記録的大雨を踏まえた水害対策、小中学生の給食費無償化などを公約に掲げた。嬉野町に新市庁舎を建設して1庁体制にする市の方針に関しては「保留」とし、市民や市職員と対話して判断するとした。
引用元:嬉野市長選に新人藤山氏が出馬表明 佐賀新聞LIVE

2庁舎体制から嬉野庁舎周辺での1庁舎体制にするとした市の構想があるそうです。

九州新幹線長崎ルート(西九州新幹線)の秋の開業に向け、嬉野温泉駅の活用は大きなポイントのようで、商業施設開発や経営者でもある藤山氏の統率力が期待されるのではないでしょうか。

藤山勝済/嬉野市長選挙の立候補した理由は?

藤山勝済氏には嬉野市の将来を考えた明確な理想がおありです。「稼げるまち」にしていかなければならないとうお考えです。

2014年に落選した際、街づくりの実行力を持つ市長になろうと思った経緯、気持ちをお話されています。

藤山かつなり候補からの御礼とご挨拶

藤山勝済/嬉野市長選挙の選挙結果は?

ここでは藤山勝済氏の嬉野市長選挙結果について書いていきます。

2014年に初めて嬉野市町長選挙に立候補し、当時現職だった谷口氏に惜敗しています。

2014年 投票率: 72.36% 
谷口太一郎氏 8,584
藤山勝済氏  7,669

2018年 投票率: 70.52%
村上大祐氏 7,890
藤山勝済氏 7,312
岸川美好氏 415

前回2018年は同じ新人ではありますが、若さが際立つ村上氏に軍配があがりました。今回も同じ顔ぶれ3人で市長選を争います。

市長ではない立場から嬉野市を盛り上げる活動を続けてきた藤山氏。その姿を直接見てきた市民も多くいると思うので、前回より藤山氏に期待を寄せるする市民は増えているかもしれません。

嬉野市長選挙に立候補した藤山氏を含む3名での討論会の様子がYouTubeで配信されていました。

チャンネル名:嬉野市商工会青年部
動画タイトル:令和4年嬉野市長選挙立候補予定者公開討論会

藤山勝済/嬉野市長選挙の引退の可能性は?

藤山氏には「嬉野市はまだ魅力を活かしきれていない、若者が住みやすい、自分たちで稼げる街にしなければならない」という強い想いがあります。

今回当選とならなかった場合、年齢的には引退を考える数字になると思いますが、会社運営と街づくりに力を注ぐエネルギッシュな藤山氏からは、引退を考えている印象は受けませんでした。

まとめ

藤山勝済氏にとって街づくりは原点であり集大成と仰っています。

嬉野市に移住してから9年間、市長じゃなくてもできることに真剣に取り組んできた分、市長じゃなきゃできない事や、街づくりをライフワークにされている藤山氏だからこそ見えている事・できる事があるのだと思います。

わたしは嬉野市民ではないので投票権はありませんが、市長になった藤山氏の街づくりを見てみたいという気持ちになりました。