任期満了に伴う行橋市長選挙(2022年2月20日告示、2月27日投開票)に新人の松本英樹氏が当選を目指して立候補する意向を表明されていますので松本氏に関する情報をまとめています。
松本英樹氏の
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・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他
などについて記事をまとめていこうと思います。
松本英樹/行橋市長選挙の経歴や家族は?
名前 | 松本英樹(まつもとひでき) |
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生年月日 | 1958年5月12日 |
出身地 | 福岡県行橋市 |
最終学歴 | 立命館大学法学部卒業 |
職業(前職) | 不動産管理会社社員、元行橋市副市長 |
趣味 | ウォーキング(行橋別府100kmウォークを5回完歩)、山登り、美術鑑賞(洋画から日本画、陶磁器などジャンルを選ばず鑑賞)、音楽鑑賞(選曲はクラシック・ビートルズを挙げる)、ヴァイオリン(独学で練習中) |
松本英樹氏は地元、福岡県行橋市蓑島生れ。
行橋市立蓑島小学校、行橋市立今元中学校、福岡県立豊津高等学校(当時)を卒業後、立命館大学法学部へと進まれました。
大学卒業の1982年に行橋市役所入庁以来、市職員を務めてきました。
総務部税務課(課税、徴収担当)、総務課(法制、防災、議会担当)、秘書企画課(総合計画、国勢調査)、議会事務局(議会運営、議員活動支援)を経て、2005年4月に総合政策課長に就任。
行橋市総合計画策定、行財政改革、築城基地に関する在日米軍再編協議の取りまとめを担当されました。
2009年4月から総務部長に就任していましたが、2014年に初当選した田中純市長から副市長に起用されました。
田中氏の市政運営に批判的になり、2019年10月に解職されています。
2019年11月から不動産管理会社勤務、2021年6月に行政書士登録(1980年度試験合格)との情報もあります。
松本英樹/行橋市長選挙の学歴は?
松本英樹氏の学歴は、福岡県立豊津高等学校(当時)卒業、立命館大学法学部卒業です。
出身高校は?
福岡県立豊津高等学校は、福岡県京都郡みやこ町豊津に所在します。
1949年に福岡県立豊津高等学校と福岡県立豊津女子高等学校とが統合して発足しました。
2003年から中高一貫教育となり、2007年に現在の校名である福岡県立育徳館高等学校に改称しました。
1949年に統合前の福岡県立豊津高等学校は1758年に創立の思永斎を淵源としています。
藩主小笠原忠総公石川麟洲の舎を塾としたものです。
思永館、香春思永館の時代を経て、幕末には英学・洋学を教授されていましたが、1874年に育徳学校となります。
その後、 県立となり、豊津中学校→豊津尋常中学校→福岡県立豊津中学校→福岡県立豊津高等学校と改称されました。
一方、1949年に統合前の福岡県立豊津女子高等学校は、1912年に郡立豊津実業女学校として創立されました。
その後、福岡県立となり、福岡県立京都実業女学校→福岡県立豊津高等女学校→福岡県立豊津女子高等学校と改称されています。
以下、みんなの高校情報からの引用です。
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大半の生徒が「北九州市立大学」「九州工業大学」「福岡県立大学」などの地元の国公私立大学や短大に進学します。また、一部の生徒は看護医療系などの専門学校に進学し、その他が公務員などに就職しています。
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出身大学は?
立命館大学は、京都市中京区に本部を置く私立大学です。
公家・政治家・教育者の西園寺公望公爵(以下、西園寺公)が1869年に京都御所内の私邸に開いた、私塾立命館を淵源とします。
「勤王家の養成」をテーマとし、大志を抱く青年が集い、新しい時代に向けた勉学が行われていたようです。
しかし、塾のあり方に不穏を感じた太政官留守官(京都府庁)が廃校命令を出し、1年も経たずに閉校されてしまいました。
現在の立命館大学の直接の前身は、「私立京都法政学校」です。
西園寺公の側近であり文部官僚であった中川小十郎氏により、1900年に創立されました。
社会人教育のための夜学から始まっています。
向学心に燃えながらも機会を得られない勤労青年に勉学の場を与えたいとの中川氏の情熱により、設立されたためです。
設立当時は、満足な校地も学舎も用意する余裕はなく、京都市内の料亭「清輝楼(旧・吉田屋)」を間借りしていたとのことです。
西園寺公が「立命館」の名称継承を許諾したことにより、1913年に大学を「私立立命館大学」と改称しました。
「自由と清新」を建学の精神とし、「平和と民主主義」を教学理念としています。
1904年当時は法学科、経済学科、予科の3科でした。
現在は学部は、法学部、産業社会学部、国際関係学部、文学部、映像学部、経済学部、スポーツ健康学部、食マネジメント学部、理工学部、情報理工学部、生命科学部、薬学部、経営学部、政策科学部、総合心理学部、グローバル教養学部の16学部です。他に大学院と附属の小学校~高等学校を有しています。
松本英樹/行橋市長選挙の家族は?
松本英樹氏の家族の情報は見付かりませんでした。
正直、独身か所帯をお持ちかの想像がつきかねますが。
家庭をお持ちだとすると、後援会のサイトの顔写真からは、昔気質の「背中で語る父親」の感じがしました。
松本英樹/行橋市長選挙の年収は?
松本英樹氏は2019年10月に行橋市副市長を解職され、同年11月から不動産管理会社に就職されています。
60歳以後の再就職なので、年収は300万円~400万円ほどと推測します。
2021年6月に行政書士登録されているとのことなので、臨時の副収入はあるかも知れません。
松本英樹/行橋市長選挙の実績や評判は?
松本英樹氏は行橋市役所職員として議会事務局次長、総務部長などを歴任。
行橋市総合計画策定、行財政改革、築城基地に関する在日米軍再編協議の取りまとめを担当されました。
2014年、就任間もない田中純市長により副市長に起用され、市長と職員とのパイプ役も務めてきました。
とても優秀な方だったと思われますが、5年後の2019年に副市長を解職されます。
田中市長によれば「政策への批判や市長の意に反する議会答弁などが積み重なり、私の不満が臨界点に達した」とのことです。
一方で松本氏は「政策に反対したことはない。私の助言が市長の理解を得られなかったのは残念」と主張されています。
「松本氏は『トップダウンが強すぎる現市政で本当にいいのかを問いたい』と言って今回立候補した。
しかし、トップダウンが強すぎることは4年前の1期目終了時に既にわかっていたことではないか?
その時に立候補しないで田中市政を支え続けて失策にも深く関与した。今になって市長選に出馬表明しても遅すぎる。」というものです。
評判には違いがなく、詳しい情報なので、紹介しました。
ただ、内容の検証は困難であり、誹謗中傷の可能性もあります。
解職の理由に「副市長在職中に民間企業の代表取締役になった」ことを挙げていますが、新聞報道やプロフィールにそれを匂わせる情報はありませんでした。
市政を変える意味では、単純に見ると、出馬のタイミングは遅かったかも知れません。
ただ、副市長に抜擢してもらった立場の松本氏としては、1期終了も待たずに反旗を翻すことは難しかったと想像されます。その時出馬しても、今回するよりも有権者への説得力は無かったでしょう。
「各論や内心で色々不満や理解困難な事があっても総論反対までは至らない。」「副市長の任にある以上、あくまでも市長を支える。その中で言うべきことは言う。」と考えての行動だったとも考えられます。
市職員の時の経歴・活躍から、助言であったとの本人の主張にも一定の説得力が感じられます。
松本英樹/行橋市長選挙の公約は?
「松本ひでき後援会事務所」のホームページに次のとおり記されています。
市職員の頃の活躍や副市長に抜擢されたことから説得力を感じますが。
実は公開討論会が予定されていたそうですが中止され、具体性に迫ることや他の候補者との比較が困難になったのが残念です。
基本姿勢
2.将来世代も安心できる財政運営
3.公明公正で透明な市政
基本方針
●円滑なワクチン接種と各種支援策の迅速化
●子育てへの影響を考慮した支援
●生活と事業活動を支えるきめ細やかな財政支援
2)教育の質向上のため現場の声に応える
●専門スタッフの配置などによる教職員の負担軽減と少人数学級の実現
●すべての児童生徒が公平にICT教育が受けられる学習環境づくり
●授業やクラブ活動を支える予算配分
3)すべての世代があらゆる分野で活躍できるための支援
●若者の起業やベテランの技術や技能を継承するための仕組みづくり
●若者が学び遊び挑戦し個性や特技を活かせる仕組みづくり
●高齢者の文化芸術やスポーツ活動への支援と世代間交流の促進
4)それらを支える行財政運営
●市民の声に耳を傾けた税金の使い方
●将来を見通した財政計画の策定
●不意な事態に備えた財政力の保持
松本英樹/行橋市長選挙の立候補した理由は?
市内で記者会見を開いた松本英樹氏は「トップダウンが強すぎる現市政で本当にいいのかを問いたい。市民に寄り添い、膝詰めで意見を聴きながら政策を決める運営に変えたい」と語られていました。(新聞報道)
松本氏自身、副市長として現在の田中市政を支えてきましたが、田中氏の市政運営に批判的になり、解職されました。
松本氏にとっては解職が立候補へのケジメになったものと思われます。
松本英樹/行橋市長選挙の選挙結果は?
松本英樹氏の国・地方公共団体への立候補は今回が初めてです。
松本英樹/行橋市長選挙の引退の可能性は?
松本英樹氏にとって今回の立候補は、自らの副市長時代の評価を行橋市市民に問い、政治家としての今後を占う意図があると思われます。
かなり勇気ある決断をされたと思いますが、結果によっては引退もあるかも知れません。
まとめ
松本英樹氏の情報発信のツールを見ると、手の込んでいない後援会のサイトが一つあるのみです。
はっきり笑顔とわかる写真もありません。
不特定多数の人に会うことが得意ではない、実直な印象を受けました。
「行橋市職員として叩き上げて一角の仕事を成し、遂には副市長になった。
その後も誠心誠意、市長を支えたが解職された。
これをケジメとして、新たな立場から故郷の市に貢献する。」
松本氏は今、そういった心境かも知れません。
ぜひ、動画ででも肉声を聞きたかったと思います。