任期満了に伴う八代市長選が、2021年8月29日告示日、同月22日投開票にて行われます。
今回は予想通り、現職の中村博生氏と同市議の亀田英雄氏の一騎打ちとなりました。
自民党県連は6月21日に早々と中村氏への推薦を決定し、連合熊本は同月16日の執行委員会で亀田氏の推薦を決定しています。これにより、市長派VS反市長派の構図が見えてきました。
連合熊本とは、日本労働組合総連合会熊本県連合会です。
亀田英雄氏は、「今の八代市政には様々な課題がある。私が市長になり、市政を刷新していきたい」とし、「現職市長は、中村市政の政策決定過程が不透明だ」と批判。出馬の意思を表明しました。
記者会見には反市長派の市議6人と八代市・郡区選出の磯田毅県議も同席。八代市議の議員定数は28人です。
6名が同席したからといって、賛同者が6人だけとは限りません。さてさて、反市長派は、ことのほか多かったりもするのでしょうか。
ここでは、3期目を狙う現職中村博生氏の
・経歴
・学歴
・ご家族
・年収
・実績や評判
・公約
・その他
についてお伝えいたします。
この度の選挙は、2期にわたる中村市政へ、市民の審判が下される選挙となりそうです。果たして八代市民は、中村市政をどう評価しているのでしょう。
中村博生/八代市長選挙の経歴は?
熊本県議会議員4期、八代市議会議員2期を務めあげ、八代市長は現時点で2期目です。
今回の選挙で当選すれば、3期目に突入することとなります。実に八代の政治家といったところです。
簡単な経歴を表にしました。
名前 | 中村博生(なかむらひろお) |
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生年月日 | 1958年〈昭和33年〉10月9日 |
出身地 | 旧八代市・現在八代市北原に在住 |
最終学歴 | 中九州短期大学卒 |
職業(前職) | 八代市長現職 |
趣味 | 家庭菜園・読書 |
大学を卒業し、株式会社中村組に入社。1991年、同社の代表取締役に就任しています。
この中村組は、創業1958年となっていることから、親の代から続いている家業と考えてよいでしょう。
丁度中村博生氏が生まれた年の創業であり、高度経済成長期に差し掛かったころでもあります。親御さんの心意気や決意、勢いを感じさせます。
現在は中村法子氏が代表取締役を務めています。主要取引先は熊本県,熊本県経済農業協同組合連合会となっていますので、堅実な経営といえそうです。
中村博生/八代市長選挙の学歴は?
旧八代市の出身ですので、八代の小学校中学校を卒業しているはずですが、はっきりした学校名等はわかりませんでした。
当時も北原在住であったならば、1875年(明治8年)高植尋常高等小学校として創立した八代市立金剛小学校の学区になりますので、そちらに通われた可能性が高くなります。
中学校は1947年(昭和22年)4月に金剛村立金剛中学校として設置され、合併の折に八代市立第六中学校となった中学校の校区です。
こちらではないでしょうか。
出身高校は?
熊本県立小川工業高等学校を卒業しています。熊本県宇城市にあり、八代から少々離れています。
八代には熊本県立八代工業高等学校があるのですが、こちらには建築科や土木科がありません。
小川工業高等学校にはありますので、その関係かもしれません。
出身大学は?
熊本県八代市平山新町にある中九州短期大学を卒業しています。
経営福祉学科と幼児保育学科しかありませんので、ほぼ単科大学です。
当時、男性の短期大学入学は案外珍しく、よほどの志によるところであるのか、少々遊びが過ぎたのかのどちらかといっても差し支えないでしょう。
「これからは大学に行っておけ!」と、親御さんから言われたのかもしれませんね。なんとなく親近感を覚えます。
政治の世界に入ってからは、以下のような経歴となっています。
平成14年 熊本県議会議員(4期)
平成25年 熊本県議会議員 副議長 就任
平成25年9月 八代市長(1期目)
平成29年9月 八代市長(2期目)
中村博生/八代市長選挙の家族は?
1期目当選の時点で、母親と妻、娘2人の5人家族と紹介されていました。
御子はお嬢様お二人だけなのかと思うと、のんびりしたお父様像が浮かびます。
中村博生/八代市長選挙の年収は?
八代市長の年収は、月収の897,000円をベースに考えて、期末手当を含めた1,300万円程度ではないかと考えられます。
ただし、市長や議会議員あたりは、なにかしらの出来事が起こると、給与カットを行うことも多く、満額が支給されるとは限らないといったところです。
誠意の表し方は、給与カットがわかりやすいのです。
コロナ関連で、さいたま市や川越市、熊谷市、伊奈町など県内27市4町の首長や教育長らが各々10%から40%程度の給料減額を行って財源に充てた話もありましたが、90%のカットは、埼玉県内で、あまりにも異例です。
これで北堀市長の年収は年間1368万5760円減額され、年間152万640円にて激務を乗り切ることになります。
ご本人「公約だから」とお話になっていたようですが、これが悪しき前例となってしまうのではという不安感は歪めません。
国の緊急事態ではありますので、カットして財源に充てる考えが悪いとは思いません。
しかし大幅カットが前提で市長職に臨めと市民が要求するところとなれば、ますます担い手はいなくなります。
銭金のために市政に乗り出されても困ります。困りますが、薄給で乗り切れるほど、「誰にでもできる仕事」ではありません。
給与の額は、責任の重さに比例したものであり、公僕として皆々様に尽くすという契約でもあります。
何かあれば無理な額の給与カットを市民が求めるような流れがつくられねばいいが…と願うばかりです。
大幅カットする首長が良い首長とは言えず、それを好意的に受け止める市民も成熟しているとは言えないのではないでしょうか。
コロナ禍では致しかたないにしても、何かといえばカットしか方策がないならば、あまりに芸がありません。
中村博生/八代市長選挙の選挙の実績や評判は?
「人の話を良く聞き、総合的に判断する調整能力。でも、時々情に流される時がある。」というのが、ご自分の自己分析です。
調整能力の高さは政治家にとって大変な強みであり、人情派であることは、地方自治の範疇では、人気を得る要素です。
2期務め、精度の高い八代市総合計画基本構想に取り組んできた実績は市民が知るところのものです。
人気が高いと考えるのが順当でしょう。
しかし首長が長命であれば、議会との関係がなぁなぁで、チェック組織として機能できていないのではないのかという疑問の声が上がるのも致し方ないことです。
もう一方の立候補者亀田氏が語る中村市政の政策決定過程は不透明であるとの批判は、そういった声を受けてのものかもしれません。
市民がどう受け止めているのか反映させるのが、選挙です。
中村博生/八代市長選挙の選挙の公約は?
今回の選挙に際し、改めて掲げた公約というものはないのですが、2期を務めて今回3期目に挑んでいるのですから、これまで推し進めてきた戦略を更に高度化し、実現に向けて邁進するものと考えてよいでしょう。
八代市は、平成30年度に「八代市重点戦略」を策定しました。
これを踏まえ、「第2次八代市総合計画基本構想における市の将来像の実現に向け、これまで様々な事業」に取り組み、「更なる深化」を八代市のリーディングプロジェクトに掲げています。
第2次八代市総合計画と銘打った計画は、第1期基本計画において、最小の経費で最大の効果を念頭に、平成30年度から令和3年度の4年間で特に重点的に取り組む施策や事務事業等を取りまとめたものとなっているとのことです。
これらは中村博生氏の市政になってからの計画ですので、3期目も中村市政で続投となれば、継続して確立させてゆくものと考えられます。
これを公約と考えてよいのではないでしょうか。
最優先事項として新型コロナウイルス感染症に対する緊急対策が挙げられ、そのほか市長が特に進める取組として、以下のものが掲げられています。
①農林水産業の新規担い手の確保・育成の支援
②食に関するあらゆる産業が活性化した「フードバレーやつしろ」を目指す
③アグリビジネスセンターなどを活用した農林水産物の 6 次産業化を推進
④ICT技術の活用による高生産性農業を促進.
⑤い草の生産体制の強化と八代産畳表の需要拡大
2 経済の浮揚と雇用・交流人口増によるにぎわいの創出
①大型クルーズ客船入港に伴うインバウンド需要を取り込む環境整備
②「八代民俗伝統芸能伝承館(仮称)」の整備と活用
③若者の地元定着と地元企業を支援する「ツナガルインターンシップ事業」を実施
④市内全域の超高速ブロードバンド化による企業誘致環境の整備
⑤新庁舎を核とした中心市街地のまちづくりを促進
⑥国際スポーツ大会などや合宿などの誘致
⑦球磨川流域の魅力づくりの推進
3 誰もが幸せを実感できる暮らしの実現
①幼稚園、小・中学校の普通教室にエアコンの設置
②高齢者・障がい者などを見守る体制の充実
③高校3年生までの医療費無料化の実現
④「健康づくり応援ポイント制度」による健康づくりへの支援
⑤「熊本県立県南高等支援学校(校名案:熊本県立鏡わかあゆ高等支援学校)」の誘致を実現
⑥「八代市学校・子ども教育応援基金」の創設
⑦小学校の英語教育の充実
⑧産後ケア事業の導入
⑨学校施設の非構造部材の完全耐震化
⑩「子育て世代包括支援センター」による支援体制の強化
⑪多文化共生社会の実現
4 安全・安心で魅力ある都市を築く
①大規模災害時における防災体制の充実
②市内全域の超高速ブロードバンド化による地域情報格差の解消
③災害対策活動拠点やまちづくりの核となる新庁舎の早期建設
④路線バス・乗合タクシーの運賃や路線を見直し、より利用しやすい
公共交通体系を構築
⑤幹線道路ネットワークの形成に向けた整備促進
5 誇るべきふるさとを未来につなぐ
①市政の見える化を推進し、「みんなと未来を語る市政懇談会」を開催
②「ニュー加賀島地区」開発に向けて国・県との連携を強化
③熊本県の「八代物流拠点構想」の推進
④国際化に対応した組織づくり
⑤「八代・天草シーライン構想」の推進
⑥ICTの活用による行政サービスの効率化の推進
また、市民意識調査の結果から採択された優先取組みについても掲げられています。
①いじめ・不登校への対策
②市職員の意識改革、能力開発
③耕作放棄地・遊休農地の利活用
④魅力ある商店街づくり
⑤移住・定住の促進
さすがに現職であることの強みを感じさせる取組の数々ですが、もう一方の立候補者亀田氏は、中村市政の政策決定過程は不透明であると批判しています。
「情報公開を徹底」が必要不可欠と語っています。
中村博生/八代市長選挙の選挙の立候補した理由は?
2014年の八代市長選において、中村博生氏は「国や県との太いパイプ」を強調して現職を下し、初当選を果たしました。
それまでの八代市長は3人続けて1期で交代するという短命で終わり、継続によって公約を成し遂げるということができていませんでした。
中村博生氏の当選は、「自民系市長による長期安定」への市民の期待の大きさでもあったのです。
この度の中村博生氏の立候補も、続投する場を与えられることで、市民との約束を果たしていこうとする姿です。
水害などに見舞われ、大きな被害を受けた八代市に科せられている課題は膨大です。4年で形になるものでもないといった認識は、市民の中にもあります。
中村博生氏が八代市長に立候補し、初当選した当時の背景について、加筆しておきます。
福島和敏氏が初当選した2009年は、国民の中で自民党への反発が強まった時期でした。
翌年の2010年に民主党(社民連)の菅直人氏が第94代内閣総理大臣に就任したということを聞けば、当時のことを思い出す人も多いでしょう。
社民両党が支援した福島和敏氏が当選したのも、その頃の流れでは、順当な事だったのです。
しかし2011年3月に東日本大震災が起こり、復興対策を早急に推し進めるために、菅直人総理大臣は、国会のねじれの解消と自民党との大連立を自民党に打診しました。
自民・公明両党は、これをケンモホロロに撥ね付け、菅おろしと言われる自民党をはじめとする野党の「退陣要求」が強まりました。
本当に国民のためを思うなら、大連合はありだろうに…と個人的には感じましたし、自民党の与党奪還のためだけのキャンペーンであると受け止めたものです。
また、「政党の成長を待てない国民」といった印象でもありました。
ほどなくして、内閣不信任決議案が衆議院本会議に提出・上程されました。
結局、菅直人総理の退陣を匂わせる発言によって、内閣不信任決議案は否決されます。
この「菅おろし」は功を奏し、与党としての資質を疑問視し始めた国民によって、同年4月の統一総選挙で与党は大敗。
ある程度、マスコミその他の心理操作もあったように思います。
日本は、長きにわたる1党独裁の間に、絡みついてはぬぐえないしがらみが出来上がっていたことは歪めない事実です。
こうして日本は、2大政党制という今よりも高次の民主主義へ成長する機会を失ったのかもしれません。
菅直人総理大臣は、「再生エネルギー法案が成立するまで辞任しない」と発言し、早急に退陣しない意向を示しました。
この発言にいち早く反応し、賞賛の意を示したのがソフトバンク社長孫正義でした。
孫氏は同法案を、強く支持していました。
しかし追いつめられてゆく菅直人政権は、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立等を退陣の条件に挙げ、成立を受けて退陣。
この時の菅直人氏の「私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」との言葉は、大変印象深いものです。
当時を知っている人々の中では、先に公開された映画「FUKUSHIMA50」の中の「総理大臣」の描き方に首をかしげる人も少なくありません。
さておき、福島和敏氏が初当選した2009年からの八代の市長選の動向は、この国政の流れを受けています。
民主、社民両党が支援した福島和敏氏が初当選し、1期目の満了を持って自民党推薦の中村博生氏に敗れました。
中村博生/八代市長選挙の選挙結果は?
まだ結果は出ていません。
震災からの真の復興もまだまだである中、更なる水害の被害など、課題が山積みの八代市において、首長が長期務めることのメリットは市民も感じていることでしょう。
今回もかなり中村博生氏が優位であると考えられます。
中村博生/八代市長選挙の引退の可能性は?
ある程度計画が成就した暁に引退することは充分考えられますが、まだまだ先が長い八代市総合計画をほっぽり出して、志半ばで引退するとは思えません。
ここでスキャンダルなどが発覚すれば、引退に追いやられることもあるでしょうが、今のところそれも見られません。
まとめ
衆議院選において八代は、熊本県第4区(1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置)になります。
熊本県第4区は「保守王国」の一つに数えられ、自由民主党が特に強い地域として認識されています。
明治から戦前まで、熊本は九州の中心的な役割を担っていました。
1873(明治6)年に定められた鎮台条例で九州全域が管轄地とする「熊本鎮台」が置かれ、鉄道等のインフラも熊本を中心に整えられてゆきました。
本州からの流行もまずは熊本に入ってくるなど、商業の町としても栄えたものです。
しかし第二次大戦後、次第に九州の中心は福岡へと変わり、情報も福岡に入るようになりました。
その為、選択肢が都会のそれと比べかなり狭められ、例えば野球ならばテレビ放映のある巨人、政治なら農村部へのキャンペーンに余念のなかった自民党…となってしまったのも、致し方ないことです。
この傾向は今でも根強く残っています。八代もまたタブンに漏れず、自民党王国と言っても過言ではないでしょう。
自民党が力を入れている限り、中村博生市政が転覆するとは思えないのですが、掲げた計画があまりに市民感情とかけ離れていたり、実現されていると市民が確信できないようなものであれば、市民もそうそう黙ってはいません。
自民党王国といえど、予断は許されない状況です。
どれだけ真摯に市政と向き合ってきたか、審判を仰ぐ選挙となりそうです。